Books 2001/02


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樺山紘一他編『20世紀の定義[3]欲望の解放』岩波書店 (2001) 20世紀の消費社会論の本をレビューし評価する
ジュリエット B. ショア(森岡孝二監訳)『浪費するアメリカ人−なぜ要らないものまで欲しがるか』岩波書店、(2000) 気づかない準拠集団,テレビ出演者と会社の上司



樺山紘一他編『20世紀の定義[3]欲望の解放』岩波書店 (2001.1.25) \3,400
20世紀の定義シリーズ(リンクは切れてもご容赦)の一冊。欲望の解放の岩波書店の解説はここ。あれれ,目次も入っていないのね。

目次
I 20世紀を読む
 1 革命と千年王国の行方      ……山口節郎
 2 都市化と農村          ……米山俊直
 3 「消費社会」と欲望のディストピア……上村忠男
II 20世紀の臨海
 1 市場の思想・計画の思想     ……塩沢由典
 2 福祉国家の暗部         ……金井淑子
 3 国際金融と通貨・金融危機    ……須田美矢子
III 統計・趨勢の異読・快読
 1 近視眼的経済成長とその転換   ……須藤修
 2 大衆消費社会の形成       ……吉田文和
 3 石油が解放した欲望とさらなる地下研究開発 ……室田武
 4 代理戦争としてのスポーツ,レジャー,遊び……清水諭

人物略伝
読書案内
全般として,日本語で出版されている基本図書をわかりやすく案内しているというものだ。

読んだのはIとIIIの2である。Iは短く読みやすい。

『1 革命と千年王国の行方』はソ連について総括している。社会主義の計画経済がなぜ失敗したか,なぜ失敗するのかをわかりやすく説明している。指令経済つまり計画経済が行ったのは「欲求に対する独裁」(ヘラー)であった(p15)。消費財の不足から強制代替(満たされぬ欲求のアルコールによる代替充足)という指摘などに面白い点があった。

『2 都市化と農村』は興味深い点もあるが,はたして「欲望の解放」という視点で書かれているのか疑問である。都市化は貧困も問題だが,欲望を解放したことから論じて欲しかった。特に大衆に欲望を解放したところを。

『3 「消費社会」と欲望のディストピア』では主として,ボードリヤール(『消費社会の神話と構造』紀伊國屋書店, 1979,原本1970),見田宗介(『現代社会の理論』岩波新書, 1996),内田隆三(『消費社会と権力』岩波書店, 1987)が取り上げられている。特に見田の「情報化と欲望空間の出現」について批判的に論じている。

見田宗介の次の文章を引用して
情報は,自己目的的に幸福の形態として,消費のシステムに,資源収奪的でなく,他社会収奪的でない仕方で,需要の無限空間を開く。あるいは市場のシステムを前提としない,人間の社会の理論のいっそうの原的な水準でいえば,それは有限な物質界を生きる人間に,無限空間を開く,正確には,幸福のかたちの創造の無限空間を開く,資源は有限だが,情報は無限であるからである。マテリーは有限だが,イデーは無限であるからである。
客が買ったのは「トウモロコシ」の栄養でなくて「パフ」の楽しさであったと理解すべきであったという見田の見解を紹介する。

上村は(p46)次のように批判する。
 しかしながら,「情報化社会」の可能性についてここまでオプティミスティックになる自信はすくなくとも現在のわたしにはない。情報の時は放つ欲望の無限空間−それはそのまま欲望のディストピアへとつねにたえず反転しかねないというか,現に反転してしまっているのではないかというのがわたしの実感である。
私が見田の『現代社会の理論』を読んだときの感想も上村とほとんど同じである。あまりに楽観主義なのであきれ果てたといってよい。しかし,パインとギルモアの『経験経済』ではまさに,見田の言っていることを商売として実践しようとしているのである。「コモディティ→商品→サービス→経験」へと経済的価値が上がっていく。そのように企画をカスタマイゼーションすることの重要性を指摘し,その方法を提案している。消費者側から考えればそんなことでいいのかと思ってしまうが,企業側からでは大いに可能性のある理論である。

さらに,この朝の陽光という単純な至福の内にもっとも奢侈でぜいたくな「消費」の極限のひとつもみていたのだという見田の見解に対し,
p49
「朝の陽光という単純な至福」への着地のうちに「消費社会」の近未来を展望しようとする見田は,それ(註:ボードリヤールの近未来展望)以上に夢想家であるというほかはないのではないだろうか。
まさにそうだろう。しかし,意味を見いだす能力が十分に発達すれば金銭によらず,日常に得られるものにも大いなる価値を見いだすことができるであろうという消尽よりも能力の発達として捕らえた方がいいのかもしれない。もっとも,それは一部の人たちだけに起こることであろう。あ,すでに起こっていることでもある。

意味のある対立かどうか分からないが,上村氏の「消費社会」の英語はconsumption society であって,consumer society ではない。

『III 2 大衆消費社会の形成』は文献紹介という色合いが濃い。代表的な消費社会論の文献の要所が引用されている。  ヴェブレン(『有閑階級の理論』1899),アレン(『オンリー・イエスタデイ』1931),ガルブレイス(『ゆたかな社会』1958),ボールディング(「来るべき宇宙船地球号の経済学」『経済学を超えて』 1968),ボードリヤール(『消費社会の神話と構造』1970),ブアスティン(「パッキングからパッケージングへ」『アメリカ人−大量消費社会の生活と文化』1973),ラーソン/ロス/ウィリアムズ(「素材の時代を超えて」1986),ユーウェン(『浪費の政治学』1988),ショアー(『働き過ぎのアメリカ人』1991),柏木(『20世紀をつくった日用品』1998)

あれま,リースマンがないですね。欲をいえばキリがないですけど。ショアーは『浪費するアメリカ人』(岩波書店,2000)と入れ替えたほうがよさそう。大平健『豊かさの精神病理』(岩波新書)なんかも欲しいな。

消費社会論関連の本の紹介としては,
作田啓一・井上俊 編『命題コレクション 社会学』筑摩書房
杉山光信『現代社会学の名著』中公新書
見田宗介ほか編『社会学文献事典』弘文堂
などがある。

《文献》
パイン,B.J.II ・ギルモア,J.H.(電通「経験経済」研究会訳)2000.『経験経済』流通科学大学出版
 この訳本は章によってひどい訳がある。原本を横に置いてよまないととんでもなく分かりにくいところがある。(例えば2章,5章)

2001年2月5日記

ジュリエット B. ショア(森岡孝二監訳)『浪費するアメリカ人−なぜ要らないものまで欲しがるか』岩波書店、(2000.10.27)、\2200
Schor,J. B. (1998).The Overspent American : Why we want what we don't need. Basic Books.
(この副題はpaperback のもの) ハードカバーの副題はUpscaling, Downshifting, and the New Consumer
目次
日本語版序文
はしがき
第1章 新しい消費主義の出現
第2章 商品によるコミュニケーション−私たちが買うものはいかにして多くを語るのか
第3章 視覚的ライフスタイル−アメリカのステータスシンボル
第4章 消費があなたらしさを創る
第5章 隣のダウンシフター
第6章 ディドロの教訓に学ぶ−欲望の上昇を止める
エピローグ 消費を減らせば経済は減速するか

日本語版のための用語解説
この本はすでに書評がいくつもインターネット上に公表されている。
google で調べてみよう。
例えば次のところがある。今のところbk1 が一番充実している。
bk1 書評
http://www.asahi.com/paper/aic/Wed/d_book/20010131.html#tsuge
たけのこ雑記帳
http://www.president.co.jp/pre/aiai/ai004.html
amazon.co.jp 書評つき

1章を英語で読む

第1章から第4章までの現代アメリカの過剰に購買し,必要以上に高価なものを購買する消費者像の分析を自分のデータおよびいろんな論文から描き出し,なぜそのような消費スタイルになっているのかについて実証分析している。

第5章からエピローグまではそのようにならないようにしている実践者の紹介と実践の仕方を紹介し,そのような実践をしたときの経済への影響について論じている。

そういう意味で,前半または後半だけ読んでもそれなりに説得力のある論文となっている。全般に注を含めて論理的に構成されているので,後半だけ読むよりは全部を読む方がいい。ただし,論理的関係を厳しくたどれない人は後半だけのほうがいいかもしれない。

消費者行動の研究者には特に前半を勧める。いい本である。注もしっかり読む。注にタイトルがついてその分野の簡潔なレビューをしているのだが,訳ではタイトルがなくなっている。ぜひつけてほしい。また,引用文献をすべて注のなかに組み込んでいるが,元は引用文献は独立してabc 順に並んでいる。これは原本の形のほうがいい。訳の注は本文に番号を付けている,これはgood。また,訳でつけたブランドの注釈もgood。

さて,まず表紙である。日本語の表紙(amazon.co.jp より)はどうしてこう暑苦しいのだろう。英語版の表紙(amazon.co.jp より)を見てくれ。ペーパーバックのほうが涼しい(amazon.co.jpから)。えーと。実物の方が色は薄めですっきりしてます。日本語版は全然スマートな感じがない。どっからこの表紙を持ってきたのだろうか?ミスリーディングなイメージを作ってるんじゃない。本人はもっとスマートに生きてるつもりなんだからね。もちろんゴテゴテはしてるけどね。

前半はアメリカ人はなぜ要らないものまで買ってしまうのか,そのメカニズムを解明している。

アメリカの消費者たちは自分たちの消費が社会的地位によって動機づけられていることを多くの場合自覚しておらず,そのような動機が自分にというよりも他の人にあるとする傾向を強く持つ(p32,一部改訳)。…。ほとんどのアメリカ人は,消費によって,言葉の普通の意味においてステータスを得ようとしている−消費によって自分をより高い経済的階層に位置させようとしている−ことを否定するだろう。(p32)

つまり,ステータス消費があるが,認めようとしない。そこで,ステータス消費そのものがあることを
(1)ステータスそのものを消費パタンで認めることができる。
 (a)ブルデューの考えをアメリカに適用した調査をレビューして,そのままではないが,いくつかの文化資産に関して階級差がある。(第2章の消費の社会的パターン−差異をつくり出す p47-)
 (b)実験によると,どのような暮らしぶりかは衣装・家などの外見で判断できる。ただし,単独の所持品ではなく組み合わせによって判断している。(第2章の消費の意味を解読する p57-)
(「かつてはある家族が居間にカウチを持っているかどうかがステータスの標識だったが,いまでは私たちは,ステータスの違いを認識するためにブランド,織地,スタイルおよび色を区別しなければならない。階級的差異はますます,モノがどう消費されるかによってつくりだされる。」p285)
(2)明確な機能差を認めることがないのに,高額商品を求めることを口紅についての実験で示し,ステータスを求めていることを明らかにした。(第3章のステータス消費のテスト−女性用化粧品 p79-)

最上位数%を除いた上位20%の中の上の階級または会社の上司,その上司を準拠集団とみんな考えるようになった。
競争消費
 (a)(他の変数をコントロールしたとき=以下同じ)準拠集団を自分より上位にしている人は年間の貯蓄が少ない。p119
 (b)隣人と争っていると思っている人(ハイプレッシャー群)は準拠集団が自分より上位にあると思う人はロウプレッシャー群にくらべ年間貯蓄額が低くなる。(p147)
社会的比較
(a)準拠集団は会社の上司であったり,(b)テレビの出演者であったりする。
 (a)に関しては,直接ではないが,人付き合いの多い人は年間の貯蓄が少ない。
 (b)に関しては,テレビ視聴の長い人は年間の貯蓄が少なくなる。
クレジットカード
クレジットカードによる破産は多くある。その一部は買物依存症(compulsive buying)と言われる。買物依存症とことで訳されているのは買物しすぎるということである。これこそが,この本のタイトルに使われている overspent の意味の一つである。浪費という訳では見えてこない。リーダース英和辞典にある「(資力〉以上につかう」ということである。

overspent の著者の定義 p35
彼等が消費したいと言っている以上に消費しており,そして持っている以上に消費しているということ。
もちろん「持っている以上」とは「資力以上」ということだ。

そして,クレジットカードを使うことが借りること。買物依存症のチェックがこんなところに。

アメリカの若い世代(18-35歳)が借金漬けになっているという報告が2001年2月21日付の四国新聞にでている。USA Today からの紹介だ。クレジットカード未払い額,破産宣告を申告した数,クレジットカウンセリングへの相談数によって例証している。原因はクレジットカードとハイテクツールだそうだ。

贈り物
贈り物は無駄遣い。ほとんど役にたっていない。しかし,欲しいものリストを提示しているのに無駄遣いになるのはなぜ。ちなみに,日本は記念日型の贈り物が大得意の国です。それにしても母方の親が孫の雛祭りのためのお雛様に100万円かけたりするのはなぜ。そんな金をだすなら,娘の大学のときに外国旅行の旅費を出してやればいいのに。
この消費が多いのは劇場型家族ですね。

そして,著者のいう新しい消費主義 new consumerism
自分よりも数段高いレベルの準拠集団(会社の上司やその上司,テレビドラマの登場人物など,あこがれそうありたあいと欲していたり,生活において何が大切かという感覚が自分に似ていると思われる人々)の最近の傾向(ライフスタイルや所有物)についていくものなら何でも買う必要性が生じて買ってしまう,そういう高水準の消費傾向をもつこと。消費水準は常に上昇していき,いつまでも購買欲求は落ちないどころか,ますます上昇する。ということになるかな?

物質主義 materialism
定義しないで使っている。消費者行動の枠でいうと,「モノによって幸福が実現すると考えること」,転じて「モノが幸福を示していると考えること」。場合によっては,過度にそう思って実践していること。この本では,「モノの所有を何よりも重んずるという意味で,たんに卑しい物質主義を誇示しているともいえない」(p7)という記述があるので,「モノの所有を何よりも重んずること」ということになろうか。
物質主義者と実際の幸福感の関係はp313 5章注(24)

物質主義尺度というのがあるのだが,p89,4行目「(物的な物差しで測った)」は「(物質主義尺度で測定した)」である。なんでこんな誤訳が出来たのかな? 同じ頁やほかにもある「見える商品」 visible commodities というのは「人目にさらされる商品」と言わないと分かりにくい。

子ども
子どもは物質主義であるし,子どもの教育のためという理由などで,親を物質主義にする。

学歴
大卒の特に女性は物質主義的だ。貯蓄が少なくなる。

個性
皮肉なことに,個性への移行は局所的な流行という独自のブランドを生み出した。明らかに,多くの人々が同じ「個性的アイデンティティを創り出す」製品を欲しがり始めていた。p20

消費財は,自己を表現し,彼らのアイデンティティを表明し,社会的人格(public persona 表向きの人格)を創り出す機会を人びとに提供すると,いまでは広く信じられている。p91
bk1 書評の桜井哲夫氏の言及している「拡張された自己」は(p91) Belk の言っている Extended self ですね。W. James も似たことを言っているのですが,消費者行動の研究のなかで言及されることはないようです。

大量生産品の特定のブランドの消費ではあくまでも社会的人格つまりステータス消費ということになります。「特注品の特徴を備えたもの」や「予約制やあまり知られていない店で,特定の人にしか売らない製品」を買うのが個性を示すことです(このあたりはヴェブレンの本物志向)。しかし,高級市場向けの趣味も,すぐに最近のステータス商品になってしまう。その結果,「人びとは個性的であるために懸命に努力していると主張するかも知れないが,予想通り,みんながほぼ同じように見えるようになってしまう」。そして,常に新しい高級品を手に入れなければならなくなる。
社会的ステータスの決定要素として消費が前面にでてくるのは,まさに出自や職業のような伝統的なアイデンティティと地位の標識が衰え始めた時である。p95
ショアーはアイデンティティと社会的ステータスを区別することよしとしない。
Birdwell(1968)は車の所有者を調査して,「所有者の車と彼自身の一致の程度が,キャデラック,リンカーン,インペリアルの所有者でもっとも大きく,中程度の価格の車の所有者でそれよりも少し小さく,低価格の所有者でより小さく,節約志向の回答者でもっとも小さい」ことを発見した。安い価格,低いステータスの商品の所有者は,それらと自分を重ね合わせる誘因はほとんどない。そのうえこの発見は,何か個人的な,自然な,または社会的でないものとしての自己像という考えを弱めている。むしろそれは,社会的ステータスという条件が私たちの自己像を形成することを示唆している。p295

6章においては,これらの傾向から抜け出すための9原則を示している。まず,適切な準拠集団を持つこと(例えば,訳本にurl がでているここ 本などをリストしているこっちに直接はいるほうがいいか)など,1章から4章までの結果および別の調査結果を踏まえた原則であり,興味深い。しかし,1年160万円で暮らすのは日本では難しそうに思える。

エピローグでは経済問題をおこさずにダウンシフトするにはどうするかについて考察している。急激にみんながダウンシフターになると困るが,ゆっくり進行していけば問題はないだろうとのこと。

重回帰分析のところがちょっと気にかかる。
表4−2(p120)誤訳のチェック
(1)「多変量回帰分析」となっているが,もちろん「重回帰分析」が正しい訳。
(2)訳本では係数の最初のところに$マークがぬけている。
(3)係数の2つめ家計所得,「112」 となっているが,「.112」がただしい。
(4)T-統計量となっているのは小文字のtが正しい。
(5)「恒久家計所得」-> 「定収入」 でしょうね。

付録を省略したため,変数のコードについてこの表に注を入れている。
注 4)の年間家計所得のコードが示されている。このコードを使って重回帰したとしたら,家計所得の係数があまりにも小さすぎる。それなのにt値が大きい。実際にはコード化した値を使っているのではなく,所得の階級値(その階級の中点)を使っている。そのため,1以下の値になっている。

原本の問題点。
名義尺度で2値以外のものに数値をそのまま与えている。
人種を0 =African, et al. 1= Caucasian, 2= Asian or Asian-American
職業も数値割り当て。ただし,平均所得から順序づけることができるのなら可能かもしれない。たいてい問題あり。
人種はたとえば,
a尺度 Caucasian 1 その他 0
b尺度 Asian or Asian-American 1 その他 0
として,
a尺度 b尺度
 0   0 African, et al
 1   0 Caucasian,
 0   1 Asian or Asian-American
というようにコード化する。
この分析では,順序尺度もしくは2値尺度以外は有効な変数でなかったので,使用しない分析を示した方がよかったであろう。
もちろん,このように正しくコード化すればもっと違った結果が生じた可能性は否定できない。

原本にあるWhite's T-statistics というのが気になった。簡単な重回帰の本にはでてこない。調べた結果,Fox(1997)にでていて,原論文はWhite(1980)であった。よほど分散が違っていないかぎり使う必要はないらしい。

この本への言及やディスカッションは英語サイトにも多くある。

たけのこ雑記帳で言及されているジンメルの件ですが,英語の本文(36),索引では正しくGeorg Simmelとなっています。引用文献はGeorge です。

そういえば,訳本p225 ,
「現代の消費研究者たちは,そのような調和を求める努力を「ディドロ効果」と呼んでいる。」
消費者行動の研究者ではあまりいっていないようですね。消費者行動のテキストの索引をチェックしてみましたが,項目にありません。確かにマクラッケン(『文化と消費とシンボルと』勁草書房)はそういってます。

一通り読んだときには数カ所程度誤訳が気になった程度である。他の訳本に比べわりと読みやすい。しかし,改めて書き出すためにチェックしたら,だいぶ誤訳がありますね。まあ,仕方がないことだけど。

さて,この消費主義は日本に当てはまるのか。中産階級のレベルに起こっているというが,日本ではここまで激しくはないのではないか。もっとも35以下の層では当てはまる層がありそうだ。日経新聞社刊『「豊熟」消費』(1989)において,一般には資産のある人,収入の多い人がたくさん購買しているが,若者のなかに収入・資産に見合わない消費がいることを捕らえている。バブルの最中であるが,重要な発見である。ただし,「消費のしすぎ→働き過ぎ→消費のしすぎ」というサイクルはいろんな年代に当てはまりそうですね。特に,子どもに貢いでしまっているという現象はまさにそういう流れです。大学生になったら自活しないといけないという考えはまったくなく,就職してからもパラサイトシングルにしてしまっている。つまり自分のためもしくは自分たち夫婦のためというよりも「子ども」のためにそのサイクルが強くなっている。
 老後の年金の問題やフリーターが増えていること,環境問題からもダウンシフターは重要概念であることは間違いない。

日本崩壊のシナリオが多く語られるようになっている。朝日新聞では日本崩壊を描いた本を特集している。ダカーポ2001年2月21日号(462号)では「そういうことだったのか!2006年日本崩壊のシナリオ」という記事がある。「国債と日本円が紙屑になる日」というハイパーインフレ(2桁インフレ,3桁インフレ)が起こる可能性を示唆している。立て直しの法で金子勝氏が述べているのはどちらかというとダウンシフターに向かって,財政赤字を立て直すというものだ。しかし,最後の結果を見ないとわからない,もしくは遅すぎる判断という政府の行動スタイルからすると,ばらまく赤字財政が続く。もっとばらまこうとすることだってありうる。すると,シナリオのまますすむ。ハイパーインフレで日本の借金は無視できる程度になり,アメリカ国債のおかげで大黒字。こういうことをエライさんは考えていたのか。個人的には,持ち金はドル(もしかしたらドル以外にもっといいのがあるかもしれない)にし,日本円で借金しまくるのがいいということになるのか。家は建てておいたほうがいいね。ええじゃないかと踊り狂う。世界がどうなってもええじゃないか。その後しばらく,ダウンシフターに移行するというか移行せざるをえない。
《参考文献》
Fox, J. (1997). Applied regression analysis, linear models, and related methods. Sage.
White, H. (1980). A heteroscedasticity-consistant covariance matrix estimator and a direct test for heteroscedasticity. Econometrica, 38, 817-838. cited in Fox(1997).
ps.
Ehrenreich “Fear of falling”は『「中流」という階級』(晶文社,1995)というタイトルで訳があります。

2001年2月21日記



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