生活者ということば

堀 啓造(香川大学経済学部)
1997/03/04

counter: (1999/4/18からの累積) 最終更新日:

生活者ということばが消費者のかわりに用いられる傾向があることに疑問を持っています。NiftyのFMKTG MES7に書いたものを整理、拡充してみました。ここでいただいたコメントに触発された部分も多くあります。FMKTGのみなさんに感謝します。


生活者ということばについて次の本が参考になる。
天野正子著『「生活者」とはだれか』中公新書 1996
この本によると、生活者ということばの使用には次の3つのルートがある。
(1)生活文化論 1930後半-
(2)消費社会論 (1940-) 1963-
(3)「新しい社会運動」論 1960後半-
(3)はベ平連からはじまってたんですね。
(1)の三木清からというのもすごい。p55 その次の

新居は、「生活者」を知識人やエリートではなく、また中産階級でなく、それ以下の生活の根をもった「市井人」として明確に規定...。

この定義では比較下層の人たちを頭においた定義です。
そのほかの定義も興味深いけど略。
一番関心のある(2)では
(a)経済学の領域では大熊信行氏が1940年から使っていた。一番重要なのは1963年の論文? その定義(天野,1996,p129)

生活者とは、生活の基本が「自己生産であることを自覚しているもの」であり、「時間と金銭における必要と自由を設定し、つねに識別し、あくまで必要を守りながら」、大衆消費社会の「営利主義的戦略の対象としての、消費者であることをみずから最低限にとどめよう」とする人びとである

つまり、一般ピープルとは違うということですね。なんかマルクス主義のにおいがするようだが。それともプロテスタント系なのかな。近代合理主義そのものですね。
(b)この路線は次の本に引き継がれています。
石川弘義・上村忠・穂苅亘(1994)『生活者市場論』中央経済社
帯に

生活者は、真に欲するものを最も安い価格で買うことで最大の効用を得ることができる。
p3
 「生活者」という概念は、マーケティングの世界にはすでに約20年前、第一次石油ショック直後から導入されており、決して新しい言葉ではない。だが当時、「生活者」はあるべき姿=”理念型”であっても現実そのものではなかった。やはり受動的な「消費者」としてとらえた方が、マーケティングの立場からは、理解しやすかった。

この約20年前は文献等記載がないですが、大熊氏の1974年の本(『生活再生産の理論−人間中心の思想』{天野さんに引用されている})のことでしょうね。ここでは、理念型であったり、一部の人ということになります。
(c)博報堂生活総合研究所編『「分衆」の誕生』(日本経済新聞社)が発行されたのが1985年です。
ここでおそらく初めて、一般的な本に「生活者」ということばが書かれた。
p195

感覚で分化する生活者集団
 このように、大衆の時代には、性、年齢、収入、ライフステージといった、比較的単純な指標でとらえられた消費者集団も、分衆の時代には、意識、価値観、ライフスタイルが異なる生活者集団として、細分化されていくわけである。
ざーとみたのですが、この部分でしか言及していないようですね(見逃している可能性は高い)。
天野(1996,p164)
人びとが操作されにくくなっていくなかで、分衆としての「生活者」たちがそうありたいと望み、そうあると思い込まされているライフスタイルをどのようにとらえ、彼らの欲求にあったマーケティング戦略を開発していくかを説くことにある。そこでの「生活者」はあくまでもマーケティング戦略の「対象」

また、この路線で、「企業−行政」の生活文化戦略が行われた(天野,1996, p166)。
(a)(b)の路線と(c)とはまったく対立する考えですね。p168でも指摘されているけど。
(a)(b)路線は (天野,1996,p236)

それぞれの時代の支配的な価値から自律的な、いいかえれば「対抗的」(オルターナティヴ)な「生活」を、隣り合っていきる他者との協同行為によって共に創ろうとする個人−を意味するものとしての「生活者」概念である。
であり、(c)の路線は (天野,1996,p238)
政治家の使う「生活者」は「生活大国」に結びついていく

(c)の路線を補強する材料として、本のタイトルの最初に生活者がでてくるものを調べてみました(資料1)。1992年の宮澤内閣の「生活大国 5か年計画」以来、生活者というタイトルのつく本が増えていることがわかります。また、これに先立ち電通総研と日本経済新聞社が共同で『「生活大国」宣言』を1990年に出していることも注目に値します。
ヨーロッパで消費社会が本格的に生じなくて、20世紀米国に生じた理由として、ヨーロッパは貴族せいぜいブルジョアだけが消費者として存在していたからという認識もあります。米国はフォーディズムに見られるように労働者も消費者としたから消費社会が成立したという単純化されたロジックです(佐伯啓思,1992)。
それに対して、(c)はポストモダン的なところを出発点にしてます。『「分衆」の誕生』ではこのあたりかなり論じています。ポストモダンは多元主義がその特徴です。そのあたりに軽さがあります。生活者といっても人間と生活の中のユーザーインターフェイスを良くしてやればいいやとか、新しい快楽の種はないのとかいう問題に帰着したりしやすいのではないでしょうか。

生活者と消費者

 マーケティングの対象を生活者として攻めるのか消費者として攻めるのか。マーケティングというのは、将来の消費者の研究という意味もこめて、消費志向性の高いものをターゲットにしているのだから、「消費者」のほうがいいんじゃないでしょうか。
マーケターとしては新しいことばが欲しいのでしょうけど。
(a)博報堂生活総合研究所
最近は消費者のことを生活者というという指摘があります。この点を調べるため、博報堂生活総合研究所の「生活新聞」での使用を見てみましょう。
博報堂生活総合研究所が「生活新聞」というのを出してますが、この合本があります。
『1981→1991 生活合本』博報堂生活総合研究所 1991
p23 1981年生活新聞の1号に「生活者」ということばがあります。

●なぜ、いま、生活研究か
...
...ことほどさように、最近の消費者は姿をつかみにくい。...
 広告会社としては、今まで以上に情報の受け手の動向に敏感であることが求められている。単発的な商品がらみの調査だけでなく、永続的な生活まわりの定点観測といったものも必要になるだろう。
●暮らしのデータバンク
...
●生活者のネットワーク
 生活者の動向を知るためには....。また、生活者の恒常的な情報ネットワークも整備するつもりである。

ということで、最初から「生活者」をねらったものでした。しかし、「消費者」と「生活者」は違うものとしてとらえています。「消費者」は商品まわりの関係でしかないとらえていません。
同書に生活四季報のINDEXがあります。81年は「消費者」しかでてきません。83年に「生活者のブランドに対する態度・見方を調査した」という例がでてきます。84・85年は両語とも出現なし。86年に「生活者を購買に踏み切らせる」ということばがでて、消費者とオーバーラップしてきているようです。87年には「消費者希望価格−いくらなら安いか」、88年「生活者とサービスの関係が成熟段階に入り、生活者は有料でもより快適なサービスを受けたがっている」、90年「生活者にとって、いまやデパートは「買いに行く」と言うよりも「見に行く」」。
これで見ると、「生活者」と「消費者」をかなり混乱して使っています。
同書の生活特報のINDEXでみると、86年に両語の例がありますが、89、90年は「生活者」だけになっています。
博報堂生活総合研究所はその研究所の名前からしても「生活」者ということばを利用したのでしょうが、最初は「消費者」とは異なったものとして使用しています。しかし、その後、生活者をだんだん多く使うようになり、さらに消費者ということばを使うところでも使っています。あとのほうでは「消費者」のかわりに「生活者」を使っているようです。さらに、博報堂の人が「最近は消費者のことを生活者といっている」という報告があります。
(b)生活者の英語訳
英訳はないという主張もありますが、英語でなにかいわなきゃならない立場の人もいる。それが何を意味するかを考えるとき外国語に直すのも一つの手段です。
『「生活者」とはだれか』には経済審議会の答申「生活大国5か年計画」(1992)の

答申の外務省訳によると、「生活者・消費者」も「生活者」も一律に「consumer」と訳されている。生活者は「この国に生活している人々」=国民=をさすようにみえる。

博報堂生活総合研究所『生活定点』を調べてみました。
「はじめに」で生活者ということばがでている。その英語訳部分を見ると、
86年版 people
88年版 consumer
90年版 consumer
と最初は people としているけど、2回目から consumer としている。ちなみに生活定点の訳は The Annual Data Book on the Japanese People.ということで、博報堂生活総合研究所の初期の考えは people だったんでしょうね。上の「この国に生活している人々」という意味というレベルだった。
博報堂生活総合研究所が最初にしていたように生活者の英語訳としてconsumer よりも people のほうがぴったりしていると思います。
最近(1997年1月)でた辞典aを調べたところ、生活者の英語訳はでていませんでした。
(c)「生活者」ということばにさらに迫る。
とっかかりとして、『現代消費・生活経済辞典』の「生活者」の説明の最初の部分を引き写してみます。

 生活者とは、生命を維持し、生存を続けるために、意識をもって欲求(精神的、生理的、物質的)に充足して自己実現を図る。生活には、労働生活(略)、消費生活(略)、家族生活(略)、地域生活(略)がある。...

要するに、植物人間を排除したのかな? 「人」と言っちゃ行けないのだろうか? それとも向上心を持たない人を排除しているのか?この定義だと「生活者」そのものは「人」または「ひとびと」ということになりますね。peopleでいいわけだ。
 このようなことにわざわざ新たな言葉を必要としたのは、日本人が生活という言葉が好きなのかもしれない。
 「生活」ということばが、日本人に好まれる傾向があるようです。これは、「地に足のついた」とか「現実に根ざした」という意味で使われるときの「空理空論ではない」というニュアンスと、先の(1)(3)などでも意味している「庶民の立場にたった」というニュアンスが好まれているのでしょう。
外国でも生活ということばに特別のニュアンスをもたせるときがあります。例えば、
Holbrook(1995)Consumer research. Sage. p128 に the consumer's life space ということばがでてきます。生活空間とか訳されるこの life space というイメージが近いのかもしれません。ゲシュタルト心理学のレヴィンの使い方と生活構造論とで使われている。生活構造論は日本で展開しているようですね。レヴィンがドイツ系のようにドイツ系の感じがあります。さらにドイツ語系では生活世界というのもよく使われてます。このことばは「学的認識の世界と区別され、それを基礎づける日常的・自然的な態度による知の世界」(フッサール)を意味しているが、日本語の生活のイメージに一致している。
 「生活」という言葉のもつ内包を検討すると、生活者の「生活者の語は、個人として自立し、会社人間から解放され、性役割固定観念にとらわれず、地球環境問題やリサイクルにも取り組み、地域活動・ヴォランティア活動にも熱心な存在の意味」(有斐閣『社会学小辞典』<註1><註2>になることも納得できる。それは天野(1996)が主張している点とも合致する。この意味はマーケティングで使うには対象が狭い。しかも、政治または行政的な方向に指向している点でもマーケティング向きでない。とても「消費者」の代わりに使う用語ではない。また、「ひとびと」の意味で「消費者」を使うのも意味を拡散してしまって、そのターゲットを不明確にしてしまう。同じことばを長年使うとそれを使わなくなるという傾向もあります(例えば「あなた」に対応することががいろいろ変化します。)が、安易な言い換えは問題があります。<註>
 


資料1.本のタイトルに現れた「生活者」ということば

書誌ナビで調べたところ、本のタイトルとしては、次のものが一番はやい。
1986年
女性マ−ケタ−研究会/編『生活者マインド・マ−ケティング』1986.日本能率協会マネジメントセンタ
以下次のようになる。
1989年
ねえきいてきいて生活者トーク 1989.新時代社
1991年
生活者革命 大前研一 著 1991.日本放送出版協会
生活者志向のマ−ケティング 安部文彦/著 1991.白桃書房
生活者優先の地域創造をめざして 1991.第一書林
以下のいくつかの本は副題等で生活者の付いているのがありますが、副題等は出力していないのでは「生活者」ということばは落ちています。
1992年
「生活大国」宮澤内閣
公明党のめざすもの ’92 第三文明社編集部 1992.第三文明社
1993年
1993年8月細川護煕首相「生活者・消費者の視点や環境の保全、男女共同参画型社会の実現といった視点に立って...」
生活者の政治学 高畠通敏 著 1993.三一書房
生活者の創る農とくらし 森川辰夫/著 1993.筑波書房
快適な生活空間の形成に向けて 1993.大蔵省印刷局
生活者のための経済10の提言 1993.大蔵省印刷局
1994年
生活者の発想 三枝佐枝子 著 1994.実業之日本社
生活者市場論 石川弘義 著 1994.中央経済社
生活者気分白書 ′94 あさひ銀総合研究所 1994.ビジネス社
社会保障論 1994.放送大学教育振興会
1995年
生活者たちの反乱 大前研一 著 1995. 小学館
生活者重視への処方箋 浜野崇好 著 1995.日本放送出版協会
生活者気分白書 ′95 あさひ銀総合研究所 1995.ビジネス社
生活者としての人間発達 金田利子〔ほか〕編著 1995.家政教育社
生活者重視の社会とモノづくり 1995.通産資料調査会
頭に生活者がつかない次の本などは落ちている。
大都市生活者のマーケティング 横田澄司 1992 白桃書房
大都市生活者の消費構造 横田澄司 1993 同文社

検索に使った書籍ナビは1979年6月〜1996年3月まで出版された本を収録。
20冊で意外と少ない。書籍のタイトルで考えると、1991年以降多くなっている。マーケティングのほうがはやく立ち上がってますね。宮沢内閣の「生活大国5カ年計画」以来「生活者」を使った本が増えている。
雑誌や新聞を検索したほうがよりわかりやすい結果がでるでしょう。
その後インターネットの丸善において「生活者」というタイトルのつく本を検索したところ134冊リストされた。途中に「生活者」がついているものあったが、書籍ナビでは検索できていなかったものもあった。
出版年として古いものは1974年からあった。1986年発行のものまで並べると次のようになる。
生活者のための企業再生 名東孝二 時潮社 1974
解体する工場 〜工場生活者のノ−ト〜 森清 ダイヤモンド社 1974
生活者と食品 〜流通と消費の原点を探る〜 片山又一郎 柴田書店 1976
生活者の智慧 柳田智照 百華苑 1976.12
深層面接調査法 〜生活者の深層心理をさぐる〜(増補新版)横田澄司 新評論 1977.03
増谷文雄著作集 12各巻名:近代の宗教的生活者 増谷文雄 角川書店 1982.08
サ−ビス産業新世代 〜生活者感覚が革新をひきおこす〜 中山裕登 東洋経済新報社 1984.07
ライフスタイル・ミニトレンド 〜多重構造の生活者をどうとらえるか〜 山口貴久男 
日本能率協会マネジメントセンタ− 1984.12
生活者の学び 〜六常民大学合同研究会記録〜 後藤総一郎 伝統と現代社(発売:現代ジャ−ナリズム出) 1984.01
日本貧困史 〜生活者的視点による貧しさの系譜とその実態〜 吉田久一 川島書店 
1984.01
希望分け合って 〜地域再生と生活者の復権〜 叢書名:現代の生協運動を考えるシリ−ズ 日本生活協同組合連合会 日本生活協同組合連合会 1984.06
都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門 坂根修 十月社(発売:清水弘文堂書房)1985.07
米沢英雄法話シリ−ズ 8(改訂)各巻名:生活者の仏法 真宗大谷派宗務所出版部 1985.03
「精神障害」のベクトル 〜病棟から地域へ患者から生活者への道〜 池末美穂子 ミネルヴァ書房 1986.11
企画型生活者のすすめ 〜ヒト・情報・時間をオ−ガナイズして人生を2倍楽しむ〜 川勝久  ハロルド・テイラ− ダイヤモンド社 1986.07
生活者マインド・マ−ケティング 〜女性がつくる新商品・市場戦略〜 女性マ−ケタ−研究会 日本能率協会マネジメントセンタ−
1986.05
アリ型人間キリギリス型人間 〜新しい生活者をつかめ〜 電通マ−ケティング研究会 洋泉社 1986.04
横田澄司氏は一貫して生活者を使っていたのですね。書籍ナビでつかまえたリストとは雰囲気がだいぶ違っています。天野氏のいっている「生活者」のほうに偏りがあるようです。電通は1986年に「生活者」ということばを本のタイトルとして使っていました。この少し前から広告業界は「生活者」というのを頻繁に使いだしたということなんでしょうね。


<註>
濱島朗ほか編『社会学小辞典 新版』有斐閣 1997

生活者 生産者に対する消費者の語は「人間中心でなく商品中心に考える近代経済学の発明である」として、消費者を生活者に改め、消費経済学を生活経済学に改めようと、大熊信行は戦前・戦後を通じて提唱していた。
また今和次郎は1951年に「生活人」を提唱し、消費経済学でなく人間個人中心の日常的生活の質の研究を呼びかけ、それは日本生活学会に継続された。
1970年代のオイルショック後、企業に受身の消費者から、考え主張する生活者へ転換しようとの機運が高まった。生活者の語は、個人として自立し、会社人間から解放され、性役割固定観念にとらわれず、地球環境問題やリサイクルにも取り組み、地域活動・ヴォランティア活動にも熱心な存在の意味に使われている。
1992年政府が発表した「生活大国五カ年計画」では「生活者・消費者の重視」が掲げられ、「自立した消費者のための条件整備」などが謳われ、消費者が生活者として自立していくことが社会にとっても必要であるとの考え方が政府の政策にも掲げられるようになった。

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<註>
金子泰雄・西村林編著『現代消費・生活経済辞典』税務経理協会 1997

項目の「生活者」「生活者利益」には英語はついていません。「生活者主義」は principle of consumercitizen の英語がついている。その一方で生活者主義とはコンシューマリズム(consumerism)である。と言っています。訳のついていない項目は他にも多くある。
他の人のをみるとどうも信用できない。「生活時間」living time。『生活時間の国際比較』(大空社,1995)を参考にすると、 これは一般に、time use, use of time, time-use, time budget と訳されるものであろう。ちなみにこの本にあらわれている「国際生活時間学会」はInternational Association of Time Use Research と訳されている。ほかの社会学辞典でもtime use などが当てられている。
<註>
【ベ平連】
〔「ベトナムに平和を!市民連合」の略〕
1965年(昭和40)ベトナム戦争に反対する無党派市民により組織された反戦運動団体。74年解散。(三省堂『スーパー大辞林』CD-ROM版)
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<註>
三木清
(1897-1945) 哲学者。兵庫県生まれ。京大卒。法大教授。ハイデッガーの影響を受け,マルクス主義哲学の基礎づけを人間学的立場から行う。のち,西田哲学に近づく。「構想力の論理」において独自の哲学体系の構築を試みた。第二次大戦末期,治安維持法違反で検挙され終戦直後に獄死。著「パスカルに於ける人間の研究」「唯物史観と現代の意識」「人生論ノート」など。(三省堂『大辞林第2版』CD-ROM版)
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<註>
フォーディズム
ブリタニカ小項目事典
Fordism
フォード自動車会社の創業者H.フォードが提唱し,自ら実行に移した経営思想。製品を通じた社会への貢献,従業員には高賃金,顧客には低価格,収益の社内留保による投資を目標にしたもの。この思想が単一車種の大量生産による自動車の低価格化を支えたが,後に限界が明らかになった。

平凡社
フォード  Henry Ford 1863‐1947
....
このころフォードは労使共栄の理念を打ち出し,日給5ドルという破格の賃金と8時間労働制を導入して世間を驚かせた。企業の成功は同時に労働者の繁栄であると説くフォードの主張は,〈フォーディズム〉として世界に喧伝された。
佐伯啓思『「欲望」と資本主義』講談社現代新書p145-146
T型モデルは大量生産が可能であった。しかし、それを購入する大衆がいなければならない。そこで購買力「有効需要」をもった消費者を生み出すには、労働者の所得をあげなければならない。いや、労働者の賃金を積極的にあげることによってむしろ有効需要がふえ、起用の利潤機会が増大するのである。有効需要がふえれば、大量生産によるスケール・メリットが生まれる。大量生産によるコストの低下、つまり労働生産性の上昇は賃金にスライドすればよい。そうすれば労働者の生活はいっそうゆたかになり、さらに需要が増加するだろうというわけだ。もっともフォード自身は、決して労働者の生活の改善というようなことを意図したわけではない。
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<註>
佐伯啓思

消費社会に関する発言も多くしている。
『「欲望」と資本主義−終わりなき拡張の論理』講談社現代新書(1993)
は消費社会にいたる過程を欧米を中心にまとめていていい(ブローデル『物質文明・経済・資本主義』みすず書房を要領よくまとめている)。この本の5章において米国の消費社会のことを書いている。
 消費社会論にでている理論の多くも紹介されているので便利である。しかし、「情報社会」についてのところについてはまだ考察が甘い。また、「内なるフロンティア」などのことばを引用なしに使っているのも気になる。このことばはリースマンがすでに『孤独な群衆』で使っている。
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<註>

生活大国
「生活大国」ということばは、電通総研編『「生活大国」宣言−日本発エスプリ・ヌーボーの探求』日本経済新聞社(1990)という本のタイトルで使われている。帯に「幸福実感国家への条件」とある。最後に電通総研の福田優二氏が2000年の「生活大国」宣言で生活者ということばを使っている。「第二期消費黄金時代」へというシナリオである。
電通総研は1987年創設。
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<註>
consumer
[Random-House]
consumer n.1. a person or thing that consumes.
2. Econ. a person or organization that uses a commodity or service.
3. Ecol. an organism, usually an animal, that feeds on plants or other animals.
[American Heritage]
consumer n. 1. One that consumes, especially one that acquires goods or services for direct use or ownership rather than for resale or use in production and manufacturing.
2. A heterotrophic organism that ingests other organisms or organic matter in a food chain.
--attributive. Often used to modify another noun: consumer questionnaires; consumer products.
[Webster]
con-sum-er n, often attrib
(15c)
:one that consumes: as
a: one that utilizes economic goods
b: an organism requiring complex organic compounds for food which it obtains by preying on other organisms or by eating particles of organic matter
-- compare PRODUCER 4
-- con-sum-er-ship \-,ship\ n
http://winnie.math.tu-berlin.de/~schlicke/webster.html
http://www.m-w.com/netdict.htm
三省堂『スーパー大辞林』CD-ROM版
しょうひ-しゃ セウ- [3] 【消費者】
(1)物資を消費する人。商品を買う人。
(2)〔生物〕 無機物から有機物を合成できず,生産者を直接または間接に摂食することにより有機物を得ている生物。通常は動物をさす。
⇔生産者

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<註>
people
たくさんの意味があるので一部
[American Heritabe]
3., pl. peoples. A body of persons sharing a common religion, culture, language, or inherited condition of life. 4. Persons with regard to their residence, class, profession, or group: city people.
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<註>
生活
国語辞典に載っている意味を羅列します。使用例は省略しました。
三省堂『新明解国語辞典第三版』(1981)
(1)生物が生きていて、体の各部分が活動・する(している)こと。
(2)社会に順応しつつ、何かを考えたり行動したりして生きていくこと。[狭義では、家族とともに食べていけるだけの余裕があることを示す。]
『岩波国語辞典第五版』(1994)
生きて生体として活動すること。世の中で暮らしてゆくこと。また、そのてだて。くらし。
『集英社国語辞典』(1993)
(1)生きていて活動すること。
(2)社会の中で生存していくこと。また、その経済的あり方。暮らし。
『新潮現代国語辞典』(1985)
(1)いきていること。生存して活動すること。
(2)生存のための経済的な面。生計。活計。口すぎ。
三省堂『大辞林第2版』CD-ROM版
(1)暮らしていること。暮らしていくこと。暮らし。
(2)生きて活動すること。
(3)暮らしを支えているもの。生計。
評判どおり『新明解』が面白い定義をしています。
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<註>
生活空間
『発達心理学辞典』ミネルヴァ書房(1995)(山本登志哉)
 個人の行動にかかわる空間のことだが、いくつかの異なる用法がある。まずレヴィン(Lewin,K)のトポロジー心理学の中では、現実に人が生活する物理空間ではなく、個人の行動を規定する心理学的な場を意味する。この心理学的な場は外界の環境に影響されつつ作られる心理的な環境(E)と人(P)の2つの要素から構成される。個人の行動(B)は、この場の中に緊張が生じたとき、つまり環境に対して人が何らかの欲求や意図が生じさせたとき、その緊張を解消すべく、EとPの関数として発生する(B=f(E,P))。個人の行動を規定するような場が生活空間(LSp)である(したがってB=f(LSp))。
次に生活空間の用語は生活構造論の中で、個人が生活する物理的空間構造について用いられ、生活のサイクルを構成する実際の活動空間や、生活者に生活の場と意識された空間をさす。
さらには単に日常的に行動する地理的な範囲、すなわち行動範囲または行動圏の意味で使われることもある。
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<註>
生活世界
〔(ドイツ)Lebenswelt〕
〔哲〕 フッサール現象学の用語。科学的認識の基盤となる,直接的に体験される知覚的経験の世界のこと。フッサールは,ガリレオ以降の近代科学を,この生活世界を数式の衣で覆ったとして批判する。(三省堂『スーパー大辞林』CD-ROM版)
見田宗介ほか編『社会学事典 縮刷版』弘文堂(1994) 江原由美子
本来はフッサールの用語であり、学的認識の世界と区別され、それを基礎づける日常的・自然的な態度による知の世界を意味するが、シュッツやバーガー、ハーバマスなどにより、社会学的な用語として使用されている。
現象学的社会学の基礎をつくりあげたシュッツは、フッサールの生活世界概念を踏襲し、科学的認識の世界、特に社会学的な認識の世界に対置される、日常生活者の社会的意味世界を生活世界と呼んだ。
その後、生活世界自体が主題化されるにしたがって、生活世界概念は狭義の日常生活世界概念({すっかりめざめた」大人の「Working」の世界をこえて、、想像の世界や宗教的態度の世界などの多元的リアリティを含み込む、生世界全域を指す概念として、使用されるようになった。バーガーはこうした用法を採用し、生活世界を、人間が住まう意味的世界として概念化した。またハーバマスは労働と相互行為、道具的理性とコミュニケーション的理性を区別し、後者を原理とする世界を生活世界と呼んでいる。
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<註>
市民
この定義は「市民」にきわめて似ている。
濱島朗ほか編『社会学小辞典』有斐閣(1997)
市民 citizen ドBurger フ citoyen
本来市民といえば、中世の西欧における都市共同体の身分的特権をもった人びとをさす。M.ウェーバーによれば、都市共同体(Stadtgemeinde)は自分自身の法や裁判所をもち、かつ一定限度の自治的政府をもっていた。この自律性・自主性に参与できる人びとである。...。今日、市民という場合は、これらの人びとをさすことが多い。
市民意識 civil spirit ド Burgersinn
もともと市民意識は、中世西欧都市における市民の特徴的な社会意識をさしている。すなわち、個人の主体性と合理性、権利と義務、自治と連帯、抵抗性などを特徴的な構成要素としている。このような市民意識は、すぐれて普遍的な価値をもっており、日本においても今日では生活権や自治権の自覚を中核とする市民意識が芽生え、定着しつつあると見られている。これが特定の地域社会とのかかわりにおいて捉えられる場合、住民意識として区別されることがある。
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<註>
弱者

「生活者」ということばには「弱者」というイメージもありそうだ。新居氏の定義にはこのような観点がある。政治的な弱者であり、資産的にも恵まれない、そして社会人として認知されないという面だ。この側面を逆に強者として存在させようとするのが、有斐閣の辞典の定義になっているといえよう。特に日本人は会社人間になって家庭を省みないという人が多い。この点は生産性重視となっているようだ。ただし、日本人の生産性は工業部門では強いが、ホワイトカラー部門は弱い。ホワイトカラーのように測定しにくい部門で単に精神主義になってしまう弱点があるようだ。「精神主義→員数主義→労働時間がながければいいだろ→家庭を顧みない」という循環があるのではないか。そして、家庭はすべてシャドーワークとなってしまう。
 そういう意味で「社会人」というのは誇りを持たせるという意味の差別用語だったかもしれませんね。
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<註>

シャドーワーク
シャドー-ワーク [4] _shadow work_人間生活に必要不可欠のものでありながら,家事労働のように賃金の支払いを受けない労働。I =イリイチの用語。(『スーパー大辞林』CD-ROM版)
この定義では物足りない。きらわれた仕事という意味もあったはずだが。
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消費者ということばが嫌われているのか

 消費者という言葉が嫌われている可能性もあります。
 その理由として「消費税」ということばが使われだしたということがあるのではないでしょうか。「売上税」という名前になるはずだったものが「消費税」とごまかしてつけたため、「消費」ということばにバイアスがかかっためではないか。「消費者」ということばを使いにくくなったという事情があるのでは。消費者というのを「購買者」という意味に直結させる傾向があるのでしょう。
consumer の意味で「生活者」を使うのはおかしいし、マーケティング的にも生産性を落とすと思っています。イメージを浮かべやすいことばのほうが生産性があります。生活者というのは非常に漠然としたことばでそのイメージが明確ではないという欠点があります。 「購買者」「利用者」のほうがさらに具体性は高まり、そのほうがいいときはその言葉を使うべきでしょう。「利用者」は「購買者」「ユーザ」の意味があるかもしれませんね。「そういう意味では「ユーザ」のほうがより具体的かな。
 消費者が使われなくなった理由としてラルフ・ネーダーの消費者運動をあげる人もいます。しかし、天野さんや社会学辞典にあるように「生活者」のほうには、より消費者運動に参加してもおかしくないような定義がされています。この点からしても「消費者運動」のイメージから「消費者」が使われなくなったというのは納得できないところです。
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ラルフ・ネーダー
ネーダー _Ralph Nader_
(1934- ) アメリカの市民運動家・弁護士。GM 社の新車コルベアーが欠陥車であると暴露するなど,消費者運動を指導,数多くの法制定に尽力。(三省堂『スーパー大辞林』CD-ROM版)
Nader, Ralph
_ 1934.2.27 コネティカット ウィンステッド
アメリカの消費者運動の指導者。プリンストン大学卒業。弁護士出身。アメリカ消費者同盟の理事をつとめ,自動車安全センターを設け,「パブリック・シティズン」機関を設立するなど,消費者を保護する運動を精力的に推進。食品・薬品管理行政,連邦取引委員会,保育所,大気汚染,水質汚染などに関する種々のネーダー・レポートにより,営利中心の企業活動ならびにそれと結びついた行政機関の実態を告発した。(ブリタニカ電子ブック小項目版)
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