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 世界で唯一の海城町-高松

 高松に長く住んでおられる方々もあまりご存知でないことがあります。都市の計画史やデザインの研究をしてきた私にとって(高松とのご縁は偶然でしかありませんが)、ここ高松には世界的にも極めて珍しい都市構造上の特徴が存在しているのです。その特徴が、「海-城-町」という城下町の図式的な配置にあるのです。  より詳しく説明していきましょう。まず、下の図をご覧ください。



 


  高松城下町の構造的な特徴は、「海」があって「城」があって「町」がある、これらの配置が団子のごとく串刺し状に配置される極めて均整のとれた立地形態が日本で唯一、いや、世界でも唯一だと考えております。先にも述べた通り、私自身は都市の計画史を専門としており、これまでに高松を対象とした計画史の研究を進めてきました。特に、高松の近世城下町に関心を持っており、先ほど申し上げた高松の配置的特徴を証明するべく、日本全国の近世城下町の城下図を蒐集し、現在の城址の位置から当時の状況を比定しつつ、海に直接城郭が面する近世期の「海城」を特定していきました(詳しくは参考文献参照のこと)。結果は驚くべき結果となり、日本広しといえども、海に城郭が臨む「海城」は25地区となり、それらは全て桑名以西の西日本に存在していることが把握できました(↓表参照)。
2018年に執筆した論文に最新の研究成果を加えています。

 
 
  また、臨海域は全て天然の港となる湾内となり、特に瀬戸内海に面する「海城」は全25地区のうち13地区となっており、日本における近世の「海城」が瀬戸内海を中核として城づくりがなされていることがわかりました。いわゆる日本三大水城として挙げられる「高松」「今治」「中津」も全て瀬戸内海に面しており、日本における「海城」の一大拠点として瀬戸内海沿岸都市を位置づけることができます。その一大拠点のなかでも、ここ高松城下町は極めて美しい都市構造を結果として有することとなりました。では、なぜ高松のみがこのような配置的特徴を持つこととなり得たのでしょうか。


 「海-城-町」この図式的配置に高松の魅力が潜んでいる  

 近世城下町の都市構造を研究していくなかで、ここ高松と特に近しい都市規模(10万石程度で日本の海城町では最大規模)や配置的特徴をもつ海城町として、桑名と中津が挙げられます。それぞれ、近世期には城郭の面前に海を臨み、城郭背後には掘割が計画的になされた城下町が広がり、想像するに高松同様、極めて美しい海城町であったと考えられます。しかし、最も異なる点として挙げられるのは、桑名は揖斐川、中津は中津川というそれぞれ第一級となる河川の河口部に城下町が位置しています。その結果、時間の経過とともに河口部の土砂堆積が進行し、城郭と海域は離れていき、近世期後半には海城というより河城に近しい様相を呈していたと考えられます。しかし、高松においては、ご存知のように西嶋八兵衛による香東川の付け替えが近世初期に施され、結果的に高松城下町には大きな河川が流入せず、河口部の土砂堆積は抑えられることとなりました。結果として、近世期後半においても瀬戸内海に直接面する高松城下町の風貌は維持され、現代においても(国道30号と高松港岸壁を挟んではいますが)極めて近しい距離に海と城郭が位置しております。こうした地理的条件や藩の土木普請などの要因が重なることで、日本、いや世界的にも珍しい海城町・高松の都市構造を得ることとなりました。

 
復元が望まれる高松城(写真はケンブリッジ大学で発見された明治時代の天守閣)
 


海-城-町を活かす「歩いて楽しいまちなかへ」  

 それでは、こうした極めて特色ある「海城町」としての特性をどのように活かせば高松の魅力となりうることができるでしょうか。私自身が提案したいのは『高松城周辺公園化構想』(図3参照)という名のプランです。  プランの概要について、簡単に申し上げれば、人口減少時代に合わせて、高松城周辺の車道を大胆に歩道化し、高松城北側の埋立地は一部掘り返すことで海と城郭との接点を復活させるプランです。極めて大規模な改修計画となりますが、これだけ大きなお金をかけたとしても、100年先を見通せば十二分にかけた以上の経済効果は得られると考えております。より詳しく、プランの特徴について大きく3つのポイントに分けて説明していきたいと思います。



 

高松城周辺公園化構想イメージ図



サンポート高松玉藻交差点①現状

 
サンポート高松玉藻交差点①改修イメージ


サンポート高松玉藻交差点②現状
 ⇒
サンポート高松玉藻交差点②改修イメージ


①海-城-町を活かすには高松城周辺の環境改善が必要

 海があって城があって町がある、この均整のとれた図式的配置は世界的にも極めて珍しく、かつ、日本でも最大規模の海城町であったことは前述した通りです。何度も繰り返しになりますが、こうした特徴は都市デザインの視点からみた近世高松の大きな特徴であり、潜在的な魅力といえます。また、現在においても海と城郭が近しい距離にある点も高松が有する利点であります。さらに、高松城周辺にはJR高松駅や高松港という中核をなす交通結節点、および、高松の中心的商業エリアである丸亀町商店街も城郭近傍に位置しております。これだけ素晴らしい都市施設が揃っているにも関わらず、現況ではこれらの施設が有機的につながりあう都市環境とはなっておりません。まずはこの点を集中的に改善していく必要があります。

②車道を歩道化することでバラバラだった施設をつなぐ

 城郭を中心として、高松港、高松駅、丸亀町商店街が立地していますが、それぞれの施設はそれぞれの管理部局のなかで運営がなされています。これらの施設を有機的につなぐためには、概念的ではなく物理的に周辺環境をつないでいく必要があります。そのためには、高松城周辺の道路である国道30号線ならびに瀬戸大橋通り等、周辺の道路を歩道化ないしは広場化していくことが最も効果的であると考えます。しかし、これを文字に書くのは簡単ですが、実現に向けて動いていくとなると極めて高い組織のカベが存在しています。道路の歩道化といえども、それは道路部局だけの話では終わらず、港周辺や駅前は管轄する行政部局だけ挙げたとしても多くの部局が存在しており、その調整は困難を極めると言っていいでしょう。しかし、調整が難しいことを理由に「海-城-町」の潜在的魅力を眠ったままにすることは本当に勿体ないことと思います。

③海城であることを体感できる高松の中心地へ

 最後3つ目のポイントとしては、日本、いや世界で唯一といえる瀬戸内の海城としての魅力を最大限感じられるような周辺整備計画を検討していく必要があると考えます。その魅力を体感するためには、海と城郭の緊密な関係性を取り戻すことが重要なポイントだと考えています。例えば、1928年に埋め立てられた高松城北側の埋立地を一部掘り返し(高潮対策は離岸堤等で検討)、水手御門前に再び大きな海水面を呼び戻すようなことも考えられます。また、海から直接、客船が城郭内に出入りできる仕組みも検討できるとすれば、より海城としての魅力は体感できるようになるでしょう。駅や港、商店街も含めた広域のエリアにおいて、高松城周辺が一体的な公園のなかにいるような都市環境のなかで、海城としての景観が存分に楽しめるのであれば、ここ高松は世界のあらゆる都市にも真似できない、瀬戸内海に浮かぶ珠玉の町として、世界中から愛される町になりうる魅力を持ち得ていると言えるのではないでしょうか。  山の頂は高くとも、まずは貴重な一歩を踏み出すべく、海城町・高松が持っている都市構造上の魅力を多くの市民の方々に知っていただければ幸いです。

参考文献
西成典久(2018)「海城町・高松における都市構造上の特異性に関する研究―海との関係に着目した近世城下町の構図比較―」『香川大学経済学部研究年報』第57号25-63頁. 

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