消費者行動A 6月13日課題答案例

6月13日課題 朝日新聞と読売新聞の(香川大学生)記事を読み、学生像、教師像を比較して論じよ。


朝日新聞記事(blogサイト) 四国新聞
読売新聞、産経新聞はインターネットにはない。


参考文献
横山雅彦(2006) 『高校生のための論理思考トレーニング』ちくま新書604
2章はとばしてもよい。

不可


朝日新聞と読売新聞の(香川大学生)記事を読み、学生像、教師像を比較して論じよ。

解答
両者の記事の違いは、開店のきっかけにみられる。
朝日新聞では、学生と雑談している際、教師が提案をし、それに対して学生が「自分たちでやろう」
と盛り上がり開店に至ったと取り上げている。
一方、読売新聞では、学生側からの提案から、準備が始まったと取り上げている。
このような点から、前者は、教師の意見に左右され、消極的な存在の学生と、
そうした学生に行動を起こすきっかけを与える教師という像をもっており、
後者は、提案し積極的な行動を行うという学生と、
その支えとして手助けし、見守る教師という像をもっているのではないかということが考えられる。
また、朝日新聞では、あくまでも利益をあげるのだということを目的とし、その利益を地域貢献し、
交流の場を作りたいと取り上げているのに対し、
読売新聞では、実際に経験をし、今までなかった学ぶ意欲がでてきたことや、経済の仕組みを通じ、
触れ合う場をつくり、地域活性化に貢献したいということを取り上げている点でも違いがみられる。
前者は、店を経営し、地域貢献する学生の姿を印象づけているようにみえ、一方、後者は、学生は勉強する
ものであり、活動は勉強の一貫のようなものとして学ぶという学生の姿を印象づけているようにみえる。
以上のことをまとめると、朝日新聞では、消極的だが、きっかけを与えれば、それに対して一生懸命に
取り組むのだという学生像と、きっかけを与える教師像をもっており、
読売新聞では、積極的に行動し、実際に体験することから学ぶ意欲をみつけていく学生像と、
それを、支援し見守る教師像をもっていることがいえる。
両者は、このような点で相反した学生像や教師像をもっているのではないかということが考えられる。


朝日新聞では,学生は利益を目的として直島でカフェをするに至ったとされている。
それは,教師が利益を得られるだろうものがあり,1つの手段として店を出すということが
あるということを学生に話したことから始まった。
一方,読売新聞では教師が直島には食べるところが少ないという話題を提供したことから,
学生が積極的に店をやろうという提案をしたことによって活動が起こったとされている。
前者では,教師が積極的に方法を示すことで働きかけを行い,
それに影響を受けた学生が行動へと移ったとされ,後者では,
教師は単なる話題提供者にすぎず,あくまで主体は学生であることを示している。
これらのことから,学生がカフェを開くに至った経緯において,学生と教師の像がそれぞれの新聞で
異なっているということができるだろう。
またその後の活動においての学生にも,それぞれ別の像を見出すことができる。
朝日新聞では,利益を得ることよりも,島の人や訪れる人との交流の場をつくり,
地域に貢献したいという思いが,学生たちの考えとなっていると述べている。
しかし読売新聞では,あくまで学生たちは経済的な視点を中心に活動を行っているように書かれている。
企業に経営像を示すことによって,会計という側面にも目を向けるようになり,
実際の経済活動を自身で行うことで,触れあいの場をつくりたいという考えが示されている。
そして,そのような中で教師は,学生が地域の活性化にも目を向けるようになったことを見守り,
学生が主体となっている活動を後ろで支えている存在であることを明示している。
つまり,朝日新聞では学生は地域に貢献することに主眼を置いているとし,
読売新聞では,経済に主眼を置きながら地域にも目を向けているということを指摘している。
以上のことをまとめてみると,朝日新聞における学生像は,教師から影響を受けた学生が,
今では地域に貢献をすることを考えるようになったという,学生のある種の成長過程を示唆している。
教師は最初は提案や呼びかけを行ったが,その後の学生の活動には積極的な関与を控え,
学生の考えを尊重していると言えるだろう。一方の読売新聞では,教師から話題を提供された
学生が,自ら考えて活動を始め,経済に重きを置いた活動から地域貢献という方向にも
目を向けだしたという,積極的行動から出た視野の拡大が読み取れる。ここでの教師は,
最初から見守る存在であり,自ら進んで助言をするという人物ではないと思われる。
このように,学生像と教師像は新聞によって異なって示されている。


朝日新聞と読売新聞の記事を読み、学生像、教師像を比較して論じよ。

 朝日新聞の記事は、しきりに儲かるだの利益だのといった言葉が出て
きている。学生は勤勉ではなく、社会的貢献にも自主性がなく、利益や
儲けといった自分本位なことに心を動かされると悪いイメージを持って
いることがわかる。しかし、読売新聞の記事は、企画を提案したとか、
意欲が出てきたとか、意気込むとかそのような言葉を使っている。学生
は勤勉で、前向きで自主性があり、学ぶ意欲をもっているといったよう
な良いイメージを持っていることがわかる。
 島民の人のコメントを見ても違いが現れている。朝日新聞の記事は島
民の人たちの温かい言葉を載せていて、学生の心を打ったようなことを
書いている。また、それによって儲けようとしていたのが、何か貢献で
きればという気持ちに変わってきたというような記述になっている。こ
こから、学生は人々とのふれあいが少なく、人間味を持った人との交流
がある環境で育ってきてないという、現代の閉鎖的な環境の批判にもつ
ながるような評価をしている。また、まだまだ未熟な存在であると考え
ていることがわかる。しかし、読売新聞の記事は、学生たちに期待して
いるといったコメントを載せており、学生たちは将来を期待されるよう
なすばらしい素材である。といったような考え方を持っていることがわ
かる。
 教師像については、朝日新聞では、雑談の中で出てきた企画とあるよ
うに、学生と教師は近い存在であり、学生との距離が縮まってきてお
り、ちょっと言い過ぎではあるが、教師の威厳がなくなってきているの
ではというイメージがあると考える。しかし、読売新聞では、見守ると
いった表現からもわかるように、学生の自主性のある行動を陰ながら支
援するような存在で、学生とは離れた偉大な存在であるといったイメー
ジがあることがわかる。


 読売新聞の記事で取り上げられている香川大学生についての内容は、主に学業に関連することになっている。経済学部の学生である
ということを強く主張していて、この直島プロジェクトを通じて、島民とのふれあいのなかで、それが勉強する姿勢にどのような影響
を与えたかを書いている。経済学部生らしい、資金援助に関することを取り上げていて、また、授業のことや、就職活動など、大学生
の学業に関する内容に触れている。これらのことから読売新聞が持っている学生像というのは、主に学業を中心としているといえる。
学生は、日々学業に専念していて、日々の行動を学業に結びつけるものだとしている。
 朝日新聞ではこれとは違った捉え方をしている。こちらでは開店までの経緯を学生と島民とのふれあいを通じて描かれている。経済
学部という肩書きや、学業ということにとらわれず、ひとつの社会集団として捉えている。朝日新聞が持つ学生像とは、学業だけにと
どまらず、広く社会に関連していくものだといえる。そして、社会に貢献しながらたくさんの経験をつんで成長していくものだとして
いる。
 学生の話が中心なので教師についてはそれほど大きくは取り上げられていない。読売新聞のほうでは、プロジェクトのきっかけを示
したものとされ、最後にコメントを載せるなどして、学生とのつながりを示している。読売新聞での教師像は、師と弟子のような関係
を学生と持っていて、最後まで見守っていくようなものとされている。一方朝日新聞では、プロジェクトのきっかけを示したこと以外
は触れられていない。よって朝日新聞の教師像とは、あくまで火付け役にすぎずない存在とされている。


不可


学生像

・読売新聞では、教師の話に興味を持ち、提案をし、自主的に行動に移す様子が伺え、積極的に経済を学ぼうとする姿勢が感じられ
る。一つの機会を利用して経済の仕組みを勉強する学生像である。

・朝日新聞では、教師に題材を与えられてから学生が行動に移し、体験する中で学んでいく様子が書かれている。利益よりも交流、つ
まり経済を学ぶ機会として利用するより、一つの社会の中でうまくやっていく方法を体験によって学習しようとする学生像である。



教師像

・読売新聞では、ヒントを出して学生が興味を持って動き出したら見守り、学生の自主性に任せる教師像が描かれている。

・朝日新聞では、「もうかるかも」という言葉が書かれ、経済学を勉強する機会を与える提案者として書かれている。

(1)
1、読売新聞による香川大学の学生像
身につけた専門知識を活かし、社会に貢献したいという意欲をもつ。
問題発見力をもつ
旺盛な学習意欲を持ち,新しい課題に積極的にチャレンジする
企画力や実行力などの実践的問題解決能力や独創性をもつ
2、朝日新聞による香川大学の学生像
地域社会に貢献する意欲を持つ
独創性をもつ
実践的問題解決能力をもつ


(2)
1、読売新聞による香川大学の教師像
問題発見力をもつ
学生が実践的問題解決するための指導力をもつ
地域社会に対する関心をもつ
地域社会に貢献したいという意欲をもつ
2、朝日新聞による香川大学の教師像
地域社会に貢献したいという意欲をもつ
問題発見能力をもつ
知識を教えるだけでなく、教えた知識を活かせ、実際の社会の中に応用するという教育の価値観をもつ

学生像
 
 読売新聞の方では、店を出すということについて、経営に関しての行動をメインとしている。
 アンケート調査などを行い、いかに観光客のニーズに合うかという方法で進められている。
 朝日新聞の方では、資金の調達のために、ボランティア活動をしたり、島に何度も通うことによって
 島の人とのふれあいを大切にし、地元の協力も得られた上で方法を進めている。
 つまり、店を開くまでの過程において、様々なアプローチの仕方があるということが
 2つの記事から読み取れる。

教師像

 読売新聞の方では、直島の現状を学生に話しているだけであるのに対して、
 朝日新聞の方では、店を出したらもうかるかもという提案を出している。
 つまり、学生の店を出すという行動を促す仕方において、
 前者の方が学生に考えさせるように、また学生中心に行動できるように
 工夫している。

教師像について
まず、朝日新聞では学生と『学生と雑談していて「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」と話したことだっ
た』と出店を教師が提案してるという記述になっている。しかし、読売新聞では『授業で話したところ、学生側が「店をやってみた
ら」と提案、準備が始まった』とあるように、学生側が出店を提案したという記述になっている。
このことから、教師の提案の仕方が違うということがわかる。さらに、話した場所も異なる。朝日新聞では『雑談』、読売新聞では
『授業』での会話である。こうしたことから、朝日新聞では気軽に話せる教師像、読売新聞では学術的な教師像ということが読み取れ
る。

学生像について
まず、朝日新聞ではあいさに行ったときの話や、木の切り方を教えてもらったときの話など地域交流についてのことが主として書かれ
ている。しかし、読売新聞では『経営像』や『経済の仕組み』といった経済的な単語を用いて書かれている。
このことから、朝日新聞では地域交流を積極的に行っている学生像が読み取れる。そして、読売新聞では積極的に学習している学生増
が読み取れる。

学生像
読売新聞では、学生の行動はケースとして提案して、学習の一部として始めたように書かれている。出店前のアンケート調査など、学
習の一部として成功するかどうかもきちんと検討してから始められたものだと書かれている。
朝日新聞では、学生の行動は学習とは離れた自分たちの自主的な興味から始まった行動と書かれている。学習とは離れた学生たちの挑
戦として書かれたいる。

教師像
読売新聞では、教師は「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるのかを考えるようになってきた」とあるよう
に、きっかけを与え生徒がその後どう行動し変化するかを見守っているように書かれている。
朝日新聞では、教師は「利益も大事だけれど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場を作って生き
たい」という文から読み取れるように、生徒と一緒に活動しているように書かれている。

読売新聞は、学生は勉学をするものである、という学生像をもっている。
直島に店を出す理由も、現場で経済を学ぶためとし、学生のインタビューも
「授業の会計学は興味がわかなかったけど、店を開くには必要なことだとだと
分かり、学ぶ意欲も出てきた。」と勉学についてである。
「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」というインタビュー
の言葉からも、店を出す理由は、まず勉強をすることであり、その結果、地域に貢献
できたらいいという考えがうかがえる。
反対に、朝日新聞には勉学について言及する文章は一言も出てこない。
店を開く理由は、はじめは利益目的で、だんだん地域貢献に変わってきた
というものだ。記事は、学生が店を開くために奔走する姿を中心に書かれている。
勉学だけでなく、目的のために努力したり、地域の人と交流したりすることが、
学生にとって大切なことだと考えているように思われる。

教師については、店を始めるきっかけになった言葉が、読売新聞では、「観光客が
たくさん来るのに食べるところが少ない」という何気ない言葉になっているが、
朝日新聞では「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」
という、生徒に対する提案ともとれる言葉になっている。これは、読売新聞は学生は
勉学をするもの、朝日新聞では、学生ははじめは利益目的だった、という風に書かれている
関係であると考えられる。
朝日新聞では、それ以降教師について触れられていない。読売新聞では、教師は
「見守る」という表現が出てきた。
読売新聞、朝日新聞の教師像は似ており、教師は直島で店を開くきっかけを作ったが、
その後はあまり口を出さず、学生の成長を見守っている、というような学生の自主性を
尊重している教師像をもっていると思われる。



「朝日新聞と読売新聞の記事による学生像、教師像の比較」
 まずは、学生像の比較をしたいと思う。まず違いとして見られるのは、学生の意欲のあり方の
表現の違いである。店を始めたきっかけとして、読売新聞では、教師が何気なく言ったことに対
して生徒側自身が意欲を持って「店を始めたら」と提案しているというように書かれている。つ
まり、「直島で店をやる」ということを生徒が考え出したような印象を受ける。それに対して朝
日新聞の記事からは、教師が「店をやったら」という提案をして、それに生徒がのっかっていった
ような印象を受ける。さらに、生徒がまず最初に興味を持ったのは「もうけ」であり、島のために
というのは二の次であったようにさえ感じられる。
 これらのことから、読売新聞には学生を「自ら意欲的に行動し、学業と結びつけながら、しかも
町の活性化まで考えている積極的な学生」という学生像があり、朝日新聞には、最近の若者によく
見られる、自分の利益が第一と考えるような学生像があるように感じた。

 そして教師像の比較であるが、読売新聞からは、教師は生徒を後押しする存在であるように感じ
られ、朝日新聞からは、生徒と同じ目線に立って、生徒と一緒にがんばっていこうとするような存
在であるように感じられる。というのは、店をやろうと生徒が考えたきっかけである、教師の発し
た「直島には食べるところが少ない」という言葉は、読売新聞では授業で話されたこととなってい
るのに対して、朝日新聞では学生との雑談中に話されたこととなっているからである。「授業で」
となれば、生徒と教師は授業によってつながっており、それ以上の深い関係はないように感じるが、
「雑談中」となれば、日ごろから生徒との関わりがあり、学生の気持ちを考えようとしているよう
な印象を受けるのだ。また、読売新聞には「教師は見守っている」とも書かれており、教師の活動
がどのようなものなのかがうかがい知れる。そのため、読売新聞からは、「生徒とは一定の距離が
あり、生徒からのアクションがあれば教師側もそれを後押しし、行動する」という受け手側の教師
像が見られ、朝日新聞からは、「自ら生徒に積極的に働きかけ、生徒と一緒になって考え、さらに
そこから自分も何かを得ようとしている」というような熱心な教師像が見られる。


 朝日新聞と読売新聞の(香川大学生)記事を読み、学生像、教師像を比較していく。
 読売新聞の学生像は、カフェを開くことで本物の経済学について学びたいという勉強熱心な学生たち、という学生像がつくられている。
そのことは記事のいくつかの箇所から読み取ることができる。まず、学生の直島でのカフェ開店の動機は、教室を出て、現場で経済を学ぶ
ためと書かれている。四宮ゆかりさんのコメントも「店を開くためには会計学の知識が必要で学ぶ意欲がでてきた」というコメントが掲載
されている。学生たちのコメントも「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所が作りたい」というようにカフェ開店をすべて経済と
関連づけている。学生のアンケート結果を掲載している点もその学生像を補強する効果を持っている。一方、朝日新聞での学生像は、儲け
たいためにカフェを始めようと思ったが、だんだん地域のにぎわいに貢献したいという気持ちが大きくなってきたという、利益だけを求め
るのではなく自分たちで地域を活性化することの良さや楽しさに気付いた学生たち、という学生像がつくられている。そのことを示す記事
がいくつかある。まず、学生の直島でのカフェ開店の動機は、食事する場所が少ない直島でカフェを開いたら儲かるかも、であったが、島
の人と知り合ううちにもうけより、島のために何かできればという気持ちが強くなったという学生の気持ちが書かれている記事である。ま
た、それを補強するように四宮ゆかりさんのコメントでは村の人の応援や親切についてのコメントが掲載されている。そして最初は儲けの
ためだったが、最後は利益を島のために還元していきたいという所まで気持ちは変化している、ということが書かれている。
 教師像にも違いがみられる。読売新聞では、「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」と授業で直島の現状を話しただけで学
生側はら「店をやってみたら」といわれ、教師は、消極的な印象である。また、カフェの目的も学生たちに現場で経済学を学ばせようとし
ている教師ということが読み取れるのに対し、朝日新聞では、「直島には食べるところが少なく店をだしたら儲かるかも」と自分から具体
的な話をきりだし、積極的な印象である。また、カフェの目的も、学生たちが地域の人たちとふれあうことを経験してほしいという意図が
みえる。
 朝日新聞と読売新聞の記事を読み、学生像、教師像を比較してきたが、同じことを取り上げている新聞であるのに書かれていることから
読者が受け取る学生像、教師像は大きく違うものであった。
 

 直島でカフェを試験営業するきっかけに関して、朝日新聞では『はじめは「食事する場所が少ない直島でカフェを開いたらもうかる
かも」という思いつきで始めた企画だった』とあった。読売新聞では『教室を出て、現場で経済を学ぼうと、』とあった。朝日新聞で
は営利目的で試験営業を始めた記事であるが、読売新聞では自分たちが学んでいる経済への興味が試験営業を始めた起因になってい
る。このことから朝日新聞における学生像は直感的であり、読売新聞における学生像は知的好奇心が旺盛であるといえるのではないだ
ろうか。
 朝日新聞の『古川尚幸助教授(37)が昨秋、学生と雑談していて「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」と話
したことだった。「それなら自分たちでやろう」と盛り上がり、』という記述に対して、読売新聞の『古川助教授が、「観光客がたく
さん来るのに食べるところが少ない」と授業で話したところ、学生側が「店をやってみたら」と提案、』という記述からも前述のこと
が言えるのではないだろうか。
 朝日新聞では『苦労したのは資金。学生だけに、初期投資のお金がない。』という記述から学生はお金を待っていないものであると
いう学生像が読み取れる。読売新聞では『授業の会計学は興味わかなかったけど、店を開くには必要なことだとわかり、学ぶ意欲も出
てきた』という記述からも知的好奇心が旺盛であるという学生像が読み取れる。
 朝日新聞の『「利益も大事だけど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場を作っていきた
い」。』という記述から地域社会への貢献を考える、温かみを持った学生像がみられる。読売新聞では『学生たちは「経済の仕組みを
通じて、人と人とが触れ合う場所を作りたい」と意気込み、』という記述からも知的好奇心が旺盛であるという学生像が読み取れる。
また『古川助教授は「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」と見守る。』とい
う記述から地域社会への貢献を考える、温かみを持った教師像がみられる。
 以上のことから、朝日新聞における学生像・教師像は、直感的であり、お金がなく、地域社会への貢献を考える、温かみを持ってい
る、読売新聞における学生像・教師像は、知的好奇心が旺盛、地域社会への貢献を考える、温かみを持っているといえる。


 まず、両記事における、直島出店のきっかけについての違いについて、読売新聞は『現場を出て、現場で経済を学ぼうと、・・・カ
フェ経営に乗り出す。』『「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」と授業で話したところ、学生側が「店をやってみた
ら」と提案』と掲載したのに対し、朝日新聞は、『最初は「食事する場所が少ない直島でカフェを開いたらもうかるかも」という思い
つきで始めた企画』とあった。この二つは明らかな違いがある。読売新聞は営業に至るきっかけの中で営利に関しては直接的には触れ
ていない。むしろ、学生の知的好奇心の強さ、新しいことに挑んでいこうとするアクティブさについてや、観光客のためにという風な
ニュアンスがこめられている。が、朝日新聞では、『もうかるかも』という、営利が出店のきっかけになったということを明らかに述
べており、勉学や学習については特に触れていない。
 また、学生・教授の、出店してからの感想、豊富について、読売新聞では、『・・・「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場
所を作りたい」・・・』や、『・・・地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」・・・』など、ここでも学
生・教師が勉強のためにやっているという部分があることを書き出している。朝日新聞では、『経験したことのない親切をたくさんも
らった』『「利益も大事だけど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場をつくっていきたい」』な
ど、勉強のためにということよりも、人情や、人の繋がりを感じているという風にあった。
 以上の比較から思ったのは、まず、読売新聞の記事における、学生像、教師像というのは、彼らは勉強が本分で、常に知的好奇心に
満ちあふれているということだ。出店のきっかけ、感想、豊富についても、読売新聞では、彼らの勉学に対する貪欲さについて取り上
げられている。直島にカフェを出店するということについても、あくまでそれは「学習のため」という側面があるということを書きた
いのが見て取れる。次に、朝日新聞における、学生像、教師像というのは、若さだと思った。彼らがいかに物事に対して必死に、素直
に取り組んでいるのかを描きたいように思えた。資金面のやり繰りについて、朝日新聞では読売新聞のそれよりも、より厳しい現状が
あったことを具体的に書いていた。また、島民とのコミュニケーションの中で得られた感動についての記事は彼らの純粋さが現れてい
るように感じた。
<

・朝日新聞の記事
【学生像】
 記事には、当初、香川大学の学生は「カフェを開けば儲かる」という利益目的で企画に取り組んでいたが、島の人と接するうち、
利益より、地域のにぎわいに貢献したいという気持ちが強くなった、と書かれている。このことから学生の企画に取り組む姿勢の変
化と成長が覗える。また企画を実行する中で島民の人たちから手助けをしてもらったり、励ましの言葉をかけてもらったことに対す
る学生の感謝の気持ちを表す文章も多い。
 これらのことから朝日新聞の記事から覗える学生像は、企画に取り組むことによって成長する学生、人の温かみを再確認する学
生、というものがあると考えられる。
【教師像】
 記事には、香川大学の教授は島の町おこしグループと交流していると書かれている。また今回の企画に寄付を行っているとも書か
れている。
 これらのことから朝日新聞の記事から覗える教師像は、地域の活性化に対して積極的な教師、というものがあると考えられる。

・読売新聞の記事
【学生像】
 記事には、「具体的な経営像を示さなければならない」、「会計学に興味が出てきた」などの学生の言葉が見られる。このことか
ら学生たちは経営学における基本的なことの重要さを確認できていると考えられる。
 読売新聞の記事から覗える学生像は、自分たちが専攻する経営学に対しての学習意欲を向上させる学生、というものがあると考え
られる。
【教師像】
 記事には、「利益を上げることよりも地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」と学生たちを見守る教授
の言葉が書かれている。このことから、企画に取り組むに当たって学生たちに学んでもらいたいことに学生たちが気づき始めたこと
を喜ぶ教授の姿が覗える。
 読売新聞の記事から覗える教師像は、学生の成長を暖かく見守る教師、というものがあると考えられる。

不可


学生像について
1読売新聞:出店するにあたって、経営のノウハウを学ぶことに重点をおいている。
      ここで、経営のことについて学ぼうとしている。
2朝日新聞:直島をよいところにしようとすることに重点を置いている。経営のこと
      ではなく、直島の人とのコミュニケーションを中心に書いている。
教師像について
3読売新聞:生徒に提案をし、そして、店を開いても、見守っていると書いているよ
      うに、一緒にやっていこうということが読み取れる。
4朝日新聞:生徒に提案をした後は、何も書いていないので、後は生徒の自主性を尊
      重しているということが読み取れる。
まとめ
5読売新聞:直島の発展より、経営のことを中心に書いている。生徒と教師が一体と
      なっているのが読み取れる。
6朝日新聞:直島の発展について書いており、直島の人とのコミュニケーションを中
      心に書いている。生徒が主体として取り組んでいることを強調して描い
      ているのが読み取れる。



読売新聞
学生像
 勉学と島のためにカフェをオープンしようとしていると解釈している。朝日新聞とは違い
最初からカフェをオープンする理由に地域貢献の意味合いが含まれている。また、自分たちが
店を開くきっかけとなったのが「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」という
助教授の言葉であり、店をやろうと提案したのが学生側であると解釈している。
教師像
 積極的にというよりも、見守りながらサポートにまわっていると解釈している。また、
教授としては、当初今まで習ってきた経済の知識を使いどれだけ利益を上げることができるか
という考えから、今まで習ってきた経済の知識を使い地域の活性化にどのような貢献ができるのか
という考えに変わってきていると解釈している。

朝日新聞
学生像
 カフェをオープンしようと企画した段階とカフェをだす準備をすすめていく段階とで
気持ちの変化が起きてきていると感じている。企画段階では、営利目的で自分たちのた
めという解釈をしており、また準備をする過程を踏み島の人と触れ合うことで学生自身
が成長し、人のために何かができる学生になってきていると解釈している。また、
自分たちが店をやること決めたきっかけが助教授の「店をやったら儲かるかも」という
言葉であるため自分たちが提案したというより、助教授の提案にのってやっているという
意味合いが強く感じられる。

教師像
 積極的に助教授自身も参加していると解釈している。見守るという意味合いより、
中心人物の一人として助教授をみており、生徒と同様営利目的から、島のためにという
気持ちの変化が起こったと理解している。

読売新聞

 学生:カフェを通じて経済の勉強をしている。

 教授:儲けよりも島の人とのふれあい、
    地域活性化への貢献。
    学生と一緒に準備に加わっている。

朝日新聞

 学生:カフェの準備で何をしたか。
    準備過程での島の人々との
    ふれあい。

 教授:カフェを通じての「利益」に重きを
    置いている。
    準備にあまり加わっていない感じを受けた。


朝日新聞教師像:営利目的ということを強くアピールしているように感じた。
朝日新聞学生像:最初は儲けという魅力から店を出そうとしているが、徐々に島のためにという考え方に変わっていく心温まる学生の
姿が描かれている。

読売新聞教師像:島の町おこしのために学生へ参加を募った積極性のある教師像である。
読売新聞学生像:経済学部の生徒らしく、カフェを通じて勉強しようという意欲が感じられる。


読売新聞における、学生と教師たちを客観的に捉えているような印象を受ける。マクロ的な視点で学生グループの会話の内容や先生を紹
介し、いわゆる模範学生たちが作り出した町興しを描写している。
 一方、朝日新聞では、直島のプロジェクトは学生たちが考え出したのはもともと儲かるのではという学生本来の気持ちを素直に書いて、
それが徐々に利益よりも地域振興を目指すものになったとミクロ的に捉えられているように思う。さらに、出店の契機から学生たちの奮闘
振り、町民の方たちとのふれあいまでも描かれているので非常に記者と学生・先生との距離が近くに感じた。



消費者行動レポート

(朝日新聞)

教師像…もうかるかもしれないという「もうけ主義」な考えから企画。

学生像…教師の話を聞いて「自分たちでやろう」と自発的にカフェ経営の計画や実行を行っている。
    直島の交流の場所を作りたいという気持ちから直島プロジェクトを行っている。

(読売新聞)

教師像…「直島には食べるところが少ないから」という地域活性化の貢献という理由で企画。

学生像…教師の話を聞いて、勉強の一環として実行しはじめ、しだいに人とのふれあい等やカフェ経営への気持ちが生まれてきた。
    経済の仕組みを通じて勉強しながら、人とのふれあいの場所を作ろうとしている。

つまり、朝日新聞の教師はもうけられるという考えから企画し、学生は「直島が好きだ」という気持ちからプロジェクトを実行した
が、読売新聞では教師は地域活性という考えから企画し、学生は地域活性化を通して経済の勉強をしようという気持ちからプロジェク
トを行った。



 読売新聞では、学生像を経営の素人のように捉えている所があると考えられる。なぜなら、企業から援助を求めている学生の記事に
「会計学にあまり興味がなく、店を開くにあたり学ぶ意欲が高まった」という部分があるからである。また、出店するお店のことを
「店」ではなく、「民家」と書かれていることからも考えられる。逆に、朝日新聞では、学生像をある程度経営の知識があると、捉え
ていることが考えられる。それは、利益が出ることを前提として直島に店を出すことになり、開店するまでの記事が現実的な開店準備
となっているためである。また、ここでは「店」という言葉がきちんと使われているからである。

 読売新聞では、教師像を生徒の意気込みに賛同し、生徒の活動を生徒自身に任せ、教師は見守っているだけであると、捉えているこ
とが考えられる。それは記事に「見守る」という言葉が使われていることから考えられる。一方朝日新聞では、教師像を経営の指導者
として捉えていると考えられる。それは、直島に店を出したら儲かることを提案したのが教師であったという記事の部分から考えられ
る。

読売新聞に関しては、教師は、学生が考えるきっかけを与える役割をする人であり、教師が主導で動くことはせず、あくまで見守る側
であるように書かれている。対する朝日新聞も、教師は学生が考えるきっかけを与える役割であり、主役ではないように書かれてい
る。また、朝日新聞では教師が「儲け」のことを考えているのに対し、学生は儲けのことを考えず、儲けや利益よりも地域に貢献する
気持ちを尊重しているように書かれている。読売新聞では、学生は、教師が思いつかないような提案を出し、また、実際に学ぶことを
通じて人と触れ合おうとしているように書かれている。



 読売新聞では学生が「経営者」として捉えられている。企業に対する考えや経済を学ぼうとする点からそれがわかる。一方、朝日新
聞ではどちらかと言えば「ボランティア」として捉えられている。商売云々ではなく、直島の人や観光客との交流を目的としているこ
とをおしている。
 また教師は朝日新聞では計画の提供者としての像しか捉えることができない。学生が主体というのをおすために、教師という像を最
大限に削除している。しかし読売新聞では教師としての像を排除していない。文末のほうで、学生の意識の変化に対し見守る姿勢を
とっている。これは主体は学生であるが、陰で支える教師というものを示している。ここでは教師というよりはむしろ「上司」である
かもしれない。
 つまり読売新聞は「学生=経営者」、「教師=提供者かつ上司」、朝日新聞は「学生=ボランティア」、「教師=提供者」として
扱っているのだ。


1、朝日新聞における生徒像
カフェを通して直島の人々との交流を図り、さらには島と島外との
交流関係の構築を狙っている。利益よりも地元の賑わいに貢献したいという考えが強い。
2、朝日新聞における教師像
出店のきっかけを与えたが、それ以後の深い役割は感じられず、起草者といった
立場に見える。
3、読売新聞における生徒像
具体的な経営像を示さなければ、企業からの協力を得ることができないなどという、
経営者的な立場によって描かれている。
4、読売新聞における教師像
出店案の起草者としてだけではなく、その後の展開も教師として見守る
という立場が見てとれる。

島の活気に貢献しようとする学生を描いた朝日新聞と、経営者的な色合いを見せようとする読売新聞では、
香川大生の直島にカフェ出店という同じテーマを扱っているが、読み手が受けるイメージは違ってくる。



読売新聞
生徒像
学生として地域の経済を学ぶとともに、利益もしっかりあげる経営者として、
いわば客観的な扱われ方をされている。
教師像
直島の活性化を考え、何かできないかと考え、生徒の案を引き出し、それを
生徒自身に任せ、自分は見守るといういかにも教師らしい扱いをされている。

朝日新聞
生徒像
最初は讀賣新聞と同じように、利益を重視した経営者的な扱いだが、
地域の人たちと触れ合ううちに、地域の賑わいを重視し、利益が出てもそのお金で
直島に多くの人が訪れるようなイベントをして島に還元していきたいという、
ボランティア的な立場であり、オープンまでの苦労や、地域の人との交流なども
取り上げられていて、生徒を主体として扱っているといえる。
教師像
讀賣新聞と違い、古川教授の言葉もなく、さらに教師からの視点の文章もなく、
利益のことを重視した存在として扱われている。

まとめ
同じ記事を扱っているが、記事の扱い方で受ける印象が違う。讀賣新聞だと教師の
方に好印象を持ち、生徒にはあまりいい印象を持てない、朝日新聞ではまったくの
逆である。


<学生像>
・朝日新聞:学生たちは最初にカフェを開いたら儲かるかもと、出店しようとしたが、島の人と接するうち、利益より地域の賑わいに
貢献したいという気持ちが強くなった。
・読売新聞:教室を出て現場で経済を学ぼうと直島でカフェ経営に乗り出した。学生たちは直島が食事ところが少ないことに目をつ
け、経済の仕組みを通じて人と人が触れ合う場所を作りたい。
上に書いているように、朝日新聞は学生たちが儲かるためのイメージを最初に取り上げた。読売新聞は、学生たちが経済学部の学生で
ある前提で、教室を出て、現場で経済を学ぼうという勉強のために、出店したということ。
 両新聞社は描いた学生像が出店の出発点が違っていたが、結果として、学生たちは直島の人との交流が深め、地域の活性化に貢献し
たい気持ちが強くなった。
<教師像>
・朝日新聞:「直島には食べるところが少なく、店を出したら儲かるかも」
・読売新聞:「直島は観光客がたくさんくるのに食べるところが少ない」
上に書いているように、両新聞社は描いた教師像が取られた点が違った。
朝日新聞は、経済学部の教授が経済面で利益を重視するというイメージがあった。読売新聞は、教師が経済学部の教授として、直島が
こういう問題があることに目に付け、学生たちが出店を通じて学んだ知識を活かして、問題の解決と地域の活性化につながる。


〔朝日新聞〕
・学生像
 教師の「直島に店を出したら儲かるかも」という話を聞いて盛り上がり、店の準備を始めたと書かれていて、
 安易な「儲けたい」という考えで店を始めたような印象を受ける。
 その後さまざまな問題に直面することになるのだが、自分の足で歩き回り、体を使って解決していく様子は、
 大人の描く理想の若者像なのではないだろうか。
 そして、それらの問題を乗り越えていく中で成長し「儲けよりも島のために何かできれば」という考えに変化していく。
 学生を上からの目線で捕らえ、何も知らない若者が苦労の中で成長し、考えも大人のものに変わっていくという姿を描こうとしている。

・教師像
 教師についての記述はほとんどなく、登場するのは「学生と雑談していて…」という一文だけである。
 教師はきっかけを与えたに過ぎず、学生自身の努力だけで開店までこぎつけたというニュアンスが強調されている。

〔読売新聞〕
・学生像
 開店までの経緯の説明部分で、観光客にアンケートをとったこと、企業への支援の申し入れなど「経済学部らしさ」が強調されており、
 「高い志を持ち、現場で経済を学ぶ大学生」という位置付けがなされているように感じる。 
 
・教師像
 最初に教師としての立場から問題提議をしており、教師と学生という立場関係が明確にされている。
 また、教員が寄付を行ったという記述や、古川助教授の最後のコメントの部分からも、生徒を暖かく見守る教師像が描かれている。

課題:朝日新聞と読売新聞の(香川大学生)記事を読み、学生像、教師像を比較して論じよ。

 読売新聞の記事からは、
『大学で学んでいることを直島という現場で実践し、その結果、地域の活性化に貢献していきたい』
という香川大学生および教師像が読み取ることができる。

 一方、朝日新聞の記事からは、
『営利目的で始めた企画がだったが、当初の目的よりも地域貢献への気持ちが強くなった』
という香川大学生および教師像が読み取ることができる。

記事では両方とも直島の地域活性に貢献する香川大学生および教師像が載せられているが、
そこに至るまでの経緯が異なって書かれている。
直島でのカフェ開店が学問の一環だったのか(朝日新聞)、それとも営利目的だったのか(読売新聞)
という点において2つの記事は異なっている。



<学生像>
・読売新聞
現場で「経済」を学ぼうと意気込み、勉強に意欲的。

・朝日新聞
「最初は利益の目的だったが、出会いの場にしたい」
「もうけより、島のために何かできれば」
と、勉強よりも人とのふれあいを大切にしている。


<教師像>
・読売新聞
「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるのかを考えるようになってきた」と見守る。
地域の人と「一緒に」やるのではなく、「貢献」として直島に関わっている。

・朝日新聞
発起人であるが、学生の自主性に任せている。


全体を通して、「読売新聞」の方が勉強熱心であり、
他方、「朝日新聞」は勉強以外の交流という面を重視しているように思う。


 <読売新聞>
●題名     「おもてなしは町は救う」→学生たちが直島で観光客をもてなすという目的で行動している。
●出展するきっかけ 教員:「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」→店がないことに目をつけた。村おこし、町おこ
し的な発想。
          学生:「店をやってみたら」→受身的。自主性が感じられない。軽い気持ちからという印象を受ける。
●四宮さん   「具体的な経営像を示さないと、企業からの見通しなどを指摘される。・・・(中略)学ぶ意欲もでてきた。」
        →店の経営に熱心に取り組んでいる。店の経営から、勉強している。地域でのふれあいについてはふれていない。
●学生の意見  「経営の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」
        →自分たちの勉強のために行う。勉強の結果として島民とのふれあいがあるととらえている。
●教師の反応  「(生徒たちが)利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるか考えるようになってきた。」
        →地域貢献と勉強を同時にしている学生たちを見守る。


(答え) 学生像・・・受身的で、自主性がなく、このプロジェクトを自分たちだけで行っていくというやる気が感じられない。ま
た、このプロジェクトに取り組むことを勉強としてとらえており、自分たちの勉強の結果として、店の成功、地域貢献、地域とのふ
れあいがあると考えている学生たちと感じられる。
     教師像・・・村おこし、町おこしをしたいという気持ちから提案し、学生たちを影で応援している。だが、協力をしてい
るようだが、傍観者的であり、学生たちが地域貢献できることを望む教師像。

6月13日課題 再提出


<朝日新聞>
●題名     「直島が好き!」→学生たちの熱意を感じる。また店の経営について細かなところまで書かれていることから、学
生たちが試行錯誤して経営するといった感じがする。
●出展するきっかけ 教員:「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」→営利目的な発想。
          学生:「それなら自分たちでやろう」→積極的に参加。自分たちの力でチャレンジ。自主性を感じる。
●四宮さん   島の人たちに応援されたことを喜んでいる。
        →活動自体を楽しんでいる。地域の人たちとのふれあいがうれしい。
●学生の意見  「利益も大事だけど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場を作っていきた
い」
        →活動から交流の楽しさを見出し、これからのさらなる頑張りを決意している。実際、記事にも活動での企業での
苦労や、島民たちとのふれあいについて書かれている。
●教師の反応  ここではふれられていない。教師はあまり活動に携わらず、学生自身の力で店を経営しようとしていることが伝
わってくる。


(答え) 学生像・・・自主性があり積極的。営業への準備を楽しくがんばっており、地域貢献、ふれあいを、利益より優先してい
る。熱心に直島のためにがんばり、そこから楽しみを得ている学生像。
     教師像・・・こうかるかもしれないという発想から営利目的であり、最初に企画を提案したが、もうその後に教師のつい
て触れられていないことから、ほとんど学生たち自身で取り組ませて、学生たちの自主性を重んじている教師像。
学生像:
読売新聞では、学生たちが「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」や、「利益を上げることよりも、地域>の活性化
にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」など純粋に学ぶ意欲や、活性化について考えているように書かれているので、まじめ
で純粋な印象である。
しかし、毎日新聞では、最終的には「利益より地域の賑わいに貢献したい」と書かれているが、「直島には食べるところが少ないから、店
を出したらもうかるかも」という理由から直島にカフェをオープンする、と書かれているので、金儲けにいやらしい生徒のように思える。

教師像:
読売新聞の「島の町おこしグループと交流している」や、「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるよう
になった」という文章を読むと、地域活性化に熱心な先生のように思えるが、毎日新聞の記事を見ると、開店のきっかけは、学生と雑談し
ていて「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」と話したことだった、と書かれている為、地域の活性化に貢献しよ
うなどという意図はなく、ただ単に金儲けの為に始めたように思える。



*読売新聞
1.学生像
・学生が意欲的。
・学生側から積極的に動き出し、能動的。
・今後の自分にどう活かせるかなど、先の物事を考えながら行動する。
2.教師像
・学生の補助的存在。
・学生を見守る親的・監督的立場。

*毎日新聞
1.学生像
・教師の意見に基づき行動を起こす。やや受動的。
・今のことに精一杯力を注いでいる。自分にどうつながっていくかあまり考えていない。
2.教師像
・自ら動き出そうとする。
・学生の「先生的」存在。
・学生を引っ張る立場。


<<読売新聞記事(2006.5.3)より>>

■学生像
 時間経過による学生の心理面があまりとりあげられておらず、カフェのプランを立てる試行錯誤の様子があまり明確に示されてい
ない。しかし、ビジネスとして会計やアンケートなどの活動を取り上げることにより、経営者としての学生の奮闘を描いている。文
末にある「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」という部分だけが、学生の本心をそのまま描いていると思わ
れる。以上のことから、学生は試験的な意味合いが濃く、熱心に計画・実行しようという意識が低く、ボランティアとしての参加な
のではないか。という見方さえできる。

■教師像
 文中の「島の町おこしグループと交流している」という一文において、古川先生が島民となにかできないかと思案していたような
ニュアンスが見受けられる。さらに文下「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってき
た」とあり、計画・実行にあたって、学生を見守り、計画にも参加しているようである。また、町おこしグループのサブリーダーで
ある堀口容子さんのコメントにより、古川先生の存在が大きくなり、この計画での存在感を示してるといえよう。以上のことから、
教師が率先して学生を率いて計画しているような印象が持てる。そして、そのことがこのカフェのビジネスとしての成功ではなく、
島おこしとしての成功を予感させる文面にしているように思われる。


<<朝日新聞記事(2006.5.2)より>>

■学生像
 冒頭(向井大輔)の文面により、出店のコンセプトが明らかになっている。初めは利益を考えた行動だったが、その後の島民との
交流により、島自体の活性化を考えるようになったとある。紙面では、学生の積極的な行動と、試行錯誤の様子を細かく書いてお
り、人間的な成長を強調しているように感じられる。その学生の行動に共感した島民の様子もほのぼのと書かれており、学生のフ
レッシュさと、活力を前面に押し出している。このことから、学生達が自分たちの能力を試し、島民たちと一丸となって成功できる
ように努力しているように思われる。

■教師像
 雑談の中で、「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」というひとつの話題を提供した。学生に興味を持っ
てもらえる内容だったことによって、直島のカフェ計画が進行したので、古川先生の話は学生にとって興味と関心を惹いたと解釈で
きる。そして、その一言からビジネスとしてのプランが持ち上がるところから、学生の教師への信頼感は絶大だと推測できる。教師
として必要な学生からの熱い信頼が、現在でも直島カフェの計画の根底にあると思われる。残念ながら、紙面からはこの計画に積極
的に参加している様子が見受けられない。そればかりか、ほとんど参加していないようにさえ思える。

朝日新聞の記事から読み取れる学生像、教師像>
 学生像…興味本位でスタートしたように感じられる。
     経営というよりはボランティア、といった風に思える。
 教師像…この企画にはあまり関わっていないように受け取れる。
     香川大学の教員として責任ある立場で参加しているとは読み取れない。
     学生の自主性に任せているように思われる。

読売新聞の記事から読み取れる学生像、教師像>
 学生像…授業の一環のフィールドワークとしてカフェ経営に取り組んでいるように受け取られる。
     軽い気持ちではなく、真剣に取り組んでいるように感じられる。
 教師像…香川大学の教員としてだけでなく、一個人としても積極的に参加しているように感じられる。
     
以上のことから、朝日新聞の記事は、「人情味」や「ふれあい」、「人間性」にスポットを当てて書かれているように思われます。
少し、記者の主観が入っているように感じられました。
それに対して読売新聞の記事は、この企画に対してビジネス的な視点で見て書かれているように感じました。
客観性のとても高い記事だと思います。    



<読売新聞>
教師:店を経営することによる地域の活性化を考えている。
しかし、その裏には利益をあげたいという気持ちもある。

生徒:店を経営することによって経済を学ぼうとしている。
同時に、この店が人と人とのふれあいの場になればと思っている。


<朝日新聞>
教師:直島には食べるところが少ないのでお店をだしたらもうかるだろう、と利益のことを考えている。

生徒:最初は先生の「もうかるかも」に惹かれたが、
仕事をし、直島の人々と交流するうちに直島が好きになり、
交流の場を作りたいという気持ちが強くなった。



2つの記事から言えることは、
教師は交流より利益、
生徒は利益より交流、
を重視していることがうかがえる。


二つの新聞記事を比べて
                                      まず、二つの新聞記事に書かれている教師像の違いを見てみると、読売新聞の記事には、地域の活性化を主な目的として出店を始め
たということ読み取れます。この記事によると、出店をすることになった理由が、直島には食べるところが少ないということでした。
こおようなことから、地域の活性化に貢献したいという気持ちがよく分かります。しかし、朝日新聞の記事からは、出店をすることに
なった理由が、利益を目的で始めたということを強く感じました。それだけを目的に頑張っているのではないが、出店理由をはじめ、
利益を使ったイベントを考えていることなど、どこかで利益にこだわっているように全体からも読み取れます。
 次に、生徒像をみていくと、読売新聞の記事より朝日新聞の記事の方が、生徒から進んで店を開きたいと言ったことが、強く感じら
れます。それは、読売新聞の記事では「店をやってみたら」と提案したと書いているのに対し、朝日新聞の記事では「それなら自分た
ちでやろう」と盛り上がったと書かれているからです。しかし、どちらの記事からも生徒たちは、島の人々を喜ばせるために頑張り、
そして同時に楽しんで取り組んでいるこたがよく分かります。またその他に、読売新聞の記事では、「具体的な経営像を示さないと、
企業から収支の見通しなどを指摘される。授業の会計学は興味わかなかったけど、店を開くには必要なことだとわかり、学ぶ意欲も出
てきた」、「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」という言葉から、経済の勉強もふまえて出店の取り組みをし
ているということが読み取れました。



不可

不可


学生像:
読売新聞では、学生たちが「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」や、「利益を上げることよりも、地域の活性化に
どんな貢献ができるかを考えるようになってきた」など純粋に学ぶ意欲や、活性化について考えているように書かれている。
しかし、毎日新聞では、最終的には「利益より地域の賑わいに貢献したい」と書かれているが、「直島には食べるところが少なく、店を出
したらもうかるかも」という理由から直島にカフェをオープンする、と書かれているので、読売新聞の方がいい印象を受ける。


教師像:
読売新聞の「島の町おこしグループと交流している」や、「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるよう
になった」という文章を読むと、地域活性化に貢献しているいい先生のように思えるが、毎日新聞の記事を見ると、開店のきっかけは、学
生と雑談していて「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」と話したことだった、と書かれている為、地域の活性化
に貢献しようなどという意図はなく、ただ単に金儲けの為に始めたように思えるため、あまりいい印象は受けない。

学生像:
 学生の「店をやってみたら」と気軽に提案するところから、学生が活動的であることが分かる。
 また、学生の「授業の会計学は興味わかなかったけど、店を開くには必要とわかり学ぶ意欲がわいてきた」
という発言から以下のこと読み取れる。
 一つ目は、学生は現実に必要と体感できなければ、学問に興味はわかないことである。
 二つ目は、学生は現実に必要と体感できれば、学問に興味がわくということである。




教師像:
 古川助教授の「直島には食べるところが少なく、店を出したら儲かる」と述べた。この発言は、
学生との談話中に述べた話である。
 日本では、お金の話は敬遠する傾向がある。そのことを考慮すると、学生と気軽にお金の話を
している古川助教授は、過去の教師像と性格が異なると言える。

<読売新聞>
学生像:お店をやるのは、「地域の人とのふれあい」が目的。学校の授業と関連づけている。
    教授の「直島には飲食店が少ない」という発言に対し、「お店をやってみたらどうだろう」という提案をする。
教師像:お店を出す目的は、「地域(直島)の活性化にどんな貢献ができるか。」
・読売新聞では、教師も学生も「儲かるかもしれない」という考えは全く書かれていない。しかし、地域の人と触れ合っているエピ 
 ソードがなく、少し堅苦しい感じ。資金のことについては具体的な数字は書かれているが、生徒が苦労して集めたというのがあまり
 感じられない。

<朝日新聞>
学生像・教師像:最初は「儲かるかもしれない」であったが、地域の人と触れ合って次第に地域貢献へと考えが変わっていった。
学生像    :教授の「直島に店を出したら儲かるかもしれない」という発言に対し、「自分たちで店をやろう」という「儲かる」
        ことに対する思いつきの発言をする。
・朝日新聞では、地域の人と触れ合っているエピソードが載っており、教師・学生の考え方の変化が描かれている。資金のことについ
 ては、どのようにして生徒が苦労してお金を集めたかが書かれている。

   朝日新聞と読売新聞の記事の違い
 朝日新聞の記事は古川先生が学生との雑談で「直島にお店を出せば儲かるかも」と提案し、学生がそれについて同意したという記事であ
る。それに対し、読売新聞では古川先生が講義で「直島は食べるところが少ない」といったのに対し生徒側が「店をやってみたら」と提案
したことになっている。
 この二つの大きな違いは、「店を出そう」と提案した人が、方や先生であり、方や生徒なのである。まったく同じ記事でこうも変わるも
のだろうか?香大生がこの二つの新聞記者に違ったことを言ったということは考えづらい。ということはやはり、双方の新聞側の勝手な判
断なのだろうか?
 どちらがあたりでどちらがはずれなどは関係ないが、このように同記事を比較することで新聞の記事を鵜呑みにするのはよくないことと
いうことがわかる。新聞記事といえども疑う癖や比較する癖をつけたい。


 <読売新聞>
●題名     「おもてなしは町は救う」→学生たちが直島で観光客をもてなすという目的で行動している。
●出展するきっかけ 教員:「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」→店がないことに目をつけた。村おこし、町おこ
し的な発想。
          学生:「店をやってみたら」→受身的。自主性が感じられない。軽い気持ちからという印象を受ける。
●四宮さん   「具体的な経営像を示さないと、企業からの見通しなどを指摘される。・・・(中略)学ぶ意欲もでてきた。」
        →店の経営に熱心に取り組んでいる。店の経営から、勉強している。地域でのふれあいについてはふれていない。
●学生の意見  「経営の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」
        →自分たちの勉強のために行う。勉強の結果として島民とのふれあいがあるととらえている。
●教師の反応  「(生徒たちが)利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるか考えるようになってきた。」
        →地域貢献と勉強を同時にしている学生たちを見守る。



<朝日新聞>
●題名     「直島が好き!」→学生たちの熱意を感じる。また店の経営について細かなところまで書かれていることから、学
生たちが試行錯誤して経営するといった感じがする。
●出展するきっかけ 教員:「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」→営利目的な発想。
          学生:「それなら自分たちでやろう」→積極的に参加。自分たちの力でチャレンジ。自主性を感じる。
●四宮さん   島の人たちに応援されたことを喜んでいる。
        →活動自体を楽しんでいる。地域の人たちとのふれあいがうれしい。
●学生の意見  「利益も大事だけど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場を作っていきた
い」
        →活動から交流の楽しさを見出し、これからのさらなる頑張りを決意している。実際、記事にも活動での企業での
苦労や、島民たちとのふれあいについて書かれている。
●教師の反応  ここではふれられていない。教師はあまり活動に携わらず、学生自身の力で店を経営しようとしていることが伝
わってくる。


 学生側の意見としては、「経済の仕組みを通じて、人と人が触れあう場所を作りたい」あるいは「利益も大事だけど、自分たちはも
ちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場を作って生きたい」と話していて、利益が出ればそのお金で直島に還元し
ていく方針であることも言及している。
 一方、教員のコメントでは、「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」と話し
ている。学生も教員も利益優先の経営ではなく島の人や島を訪れる人のための貢献というものを考えてカフェの運営をしていることが
分かる。また、学生の意見では「直島」というよりも人と人が触れ合う場所というのを目指していて、もっと大きく考えているのでは
ないかと思った。
 いずれにしても、直島のため地域活性化のために活動していることは学生も教員も同じであると考えられる。


朝日新聞における教員像、生徒像はともに読売新聞に比べ利己的に描かれている。
朝日新聞では「食事をする場所が少ない直島でカフェを開いたらもうかるかも」と
表現され、カフェ開店の目的が利益にある。いっぽう読売新聞では
「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」と表現され、
動機は営利目的ともとれるが、地域振興でもあるような表現になっている。



 まずはじめに、古川助教授はもともと島の町おこしグループと交流があった。
そのうえ、直島には観光客がたくさんくるのに、食べるところが少ない、という認識のもと、店を出したら儲かるかもしれないっと生徒た
ちに促していた。
この話を聞いた生徒たちは、それなら自分たちでと考えて店を出すようになった。今では地域のために何ができるかを考えるようになって
きたとある。
 つまり、利益よりも町の活性化のためであり利益は二の次と考えて提案した教師像、この話を聞き利益を一番に考えていたが現在では地
域のことを考えるようになった生徒像が浮かび上がる。
はじめのほうは両者の目的が少しずれていたが、最近では、利益よりも島のこと一番にを考えているという点で、両者は共通してきたよう
に思われる。


申し訳ございませんが、問題を読み間違えてしまった
みたいなので、再提出させていただきます。

 読売新聞と朝日新聞では同じことについて書いた
記事でも、内容が違っていた。では、どのように
違うか、についてを述べていきたい。

 まず、読売新聞から見ていきたい。読売新聞では、
学生はカフェを通じて経営の勉強をしているという
感じを受ける。また、教授像は学生と一緒に準備に加わり、
カフェでの利益よりも島の人とのふれあいや、
地域活性化への貢献に重きを置いているようにうつった。

 次に朝日新聞について見ていきたい。こちらでの学生像は
準備過程での島の人々とのふれあいについて書かれていた。
また、教授は読売新聞とは違い、準備に加わっていない感じが
した。そして、カフェを通じての「利益」を重視しているよう
に思えた。

 このように、同じことについて書かれている記事でも、
書き手によって内容が変わるのだと感じた。


 香川大学になんの刺激もなく学びにきているだけの学生と、何かのきっかけにおいて地元とのかかわりや愛着が生ま
れ、香川という社会集団の一員になった人々との違い。そこにおいて教授は学生になんらかの、ここでは直島を紹介し
た、きっかけをあたえただけで、後の行動や認知は学生によるものだったはずです。でもまぁ、教授という地位から与
えられたものは、学生からしてみれば、ほぼ無条件にプラスの価値をあたえられそうですが。学生は何もないところか
らのはじまりで、いろいろ手探りだったはずで、教授はそれをアドバイスするだけにてっしていたのでないしょうか。
学生はその根拠のない後ろ盾があったからこそ、大変だとは感じても、あまり不安がるといったことはなかったように
思えます。ただ、根拠のないといったのは、教授は室内を主に生活をなさっている方々で知識はおおいに持っているは
ずです。でも実際の現場のほうではその知識がどのくらい役に立つのか、私にはわからないからです。それでも、生徒
にとっては十分に安心に値する存在だとおもいます。
 かれらは直島での地元住人とのふれあいの中で、その集団とのつながりが強まり、集団意識がうまれ、出店する人々
の考えに影響を与えたのではないでしょうか。正の社会アイデンティティができてたのだろうと思います。
 はじめは、ただ儲かるかもしないという単純な考えから、地域の人々に貢献したいと変わっていき、今のところの最
終的な考えは直島に多くの人々を集めれるようなイベントを起こしたい、言い換えると自地域の独自性を発揮したい、
となっています。地元にはじめから愛着を持っていた人々だから行動に移せたのか、行動していくうちに愛着がつよく
なったのか、たぶん新聞を読む限りでは後者だとおもいます。出店について直島のことをいろいろ考えていくうちに、
また島の人々とのふれあいの中でつながりが強まったのではないでしょうか。そして、それにつれて目的も変わってき
ました。
>



  新聞記事を読んでの学生像と教師像との比較

 学生は自分たちでアイディアを出し合い、店作りのための準備を建設的に
進めていくなど、直島への出店に対する積極的な姿勢がみられ、学生像としては
すごくいきいきとしており、さわやかである。

 これに対し教師側は、寄付などの学生の力ではどうしようもない事柄に対する
援助を除いては手出しはせず、生徒を信頼して見守っているといった姿勢が見られ、
教師像としてはすごく余裕のある、できた先生といった感じである。

 私は、この新聞記事に書かれているように、ある程度教師が生徒の意欲に任せて
活動させることで、生徒たちの自由な興味を駆り立て、生きた勉強ができると考える。
また、生徒のこのような地域活性化に関わる活動は、大学の地域貢献度をアピールできる。
しかしそのメリットは大学側にのみあるのではなく、これから社会に出て行く生徒にとっても
よい経験になるはずである。


記事の内容から読売新聞と朝日新聞はほぼ同じ内容のインタビューを学生、教師にしたと思われる。しかし、それを記事に書き起こし
た記者の学生、教師に対するイメージ像の違いにより、記事においての両者の発言が異なっている。

読売新聞は学生、教師の発言を好意的に解釈している。この記事の中で学生は「活動を通じ地域に貢献している姿」が強調されてい
る。教師も「そんな学生を支援しているという姿」がしめされている。一方、朝日新聞は学生に対し「金儲けに対する興味が先行して
いたという姿」を強調している。これは、記者の「若者は金儲けにしか興味がない」という若者像からきていると考えられる。

記事の違いを示す要約

(読売)
先生の「観光客がたくさん来るのに食べるところが少ない」という発言に対し、学生が「店をやってみたら」と提案したことから、カ
フェの計画がスタートした。出店の準備という実務を通じ、学生は経営について学ぶという意欲がわいてきた。学生たちの活動をみ
て、地域の人々の観光事業に対する意識も高まった。現在では「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」と学生は
考えるようになり、先生は「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」と学生たち
を評する。

(朝日)
先生の「直島には食べるところが少なく、店をだしたらもうかるかも」という発言に対し、学生が「それなら自分たちでやろう」と提
案し、計画がスタートした。出店の準備を通じ地域の人々と触れ合うことにより学生は、利益より島のために何かできればという気持
ちが強くなっていった。「利益も大事だけど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場をつくってい
きたい」と学生はいう。


まず、学生の立場から見てみると、学生は先生の直島に関する話を聞いてそこに起業の機会を見出し、実際に実行に移している。これ
は非常に行動的であり、バイタリティあふれる行動であるといえるだろう。さらに事業を行っていくにあたって、徐々に営利目的から
島の人たちへの貢献が目的となっている点は、ビジネスを実際に実行することによっての実感が考えを変えたことが指摘できると思
う。
次に、教師像であるが、教師は実際に島の現状を知り、島の人たちの声を聞いていたにもかかわらず、実行には移そうとはしていな
い。もちろん、問題意識があれば、誰でも起業するわけではないが、学生たちよりは行動的ではなかったということが指摘できると思
う。



読売新聞
お店を出す動機は、観光客がたくさん来るのに食べるところが少ないから。資金は教員の寄付や学生が集め、食器や食材の仕入れなど
の援助は学生が企業をまわり、とりつけた。学生は、「経済の仕組みを通じて、人と人とが触れ合う場所を作りたい」「授業に対する
意欲がでてきた」と話しており、教師も「利益よりも地域の活性化」と話している。

朝日新聞
 お店を出す動機は、直島には食べるところが少なく、お店を出したら儲かるかもしれないから。島の人に空き家を紹介してもらい、
2ヶ月かけて手入れ、清掃をした。その際、木の整理に困り、島の人に助けてもらう。資金に困った為、島の学校から要らない畳をもら
い、机はリサイクルショップで購入した。島に何度も通ううちに、儲けよりも島のために何か出来ればとういう気持ちが強くなった。
「利益も大事だけど、自分たちはもちろん、島の人や島に来る人が楽しく交流できる出会いの場を作っていきたい」と話している。

比較
 どちらの新聞でも最終的には、学生と教師は利益よりも島のためと思っている。しかし、動機は違い、朝日新聞では利益のため、読
売新聞では観光客や島のためとなっている。また、読売新聞では着々と準備が進んでいるが、朝日新聞では苦労しながら島の人々に助
けられ、島の人と交流を深めながら準備をしている。このことから、読売新聞での教師、学生は、初めから島のためを思ってお店を出
しており、資金なども教師の寄付などであまり苦労していないように感じる。これに対し、朝日新聞では、最初は利益のことを考えて
の出店だったが、苦労し、島の人と触れ合ううちに島のことを考えるようになっている。最終的な考えや意気込みは同じだが、それま
での課程が大きく違う。


学生像: 
■読売新聞
「経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい」
「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになってきた」
■毎日新聞
「利益より地域の賑わいに貢献したい」
「直島には食べるところが少ないから、店を出したらもうかるかも」という教師の提案に賛同

比較:
 読売新聞は、損得勘定を抜きにしてお店を出店しようという学生像が見える。
一方、毎日新聞は、利益をだして地域に貢献したいという学生像が見える。
 この二つの学生像を比較すると、両社とも地域に貢献しようとする学生像が見えるが
地域への貢献の姿勢が異なるといえる。

教師像;
■読売新聞
「島の町おこしグループと交流している」
「利益を上げることよりも、地域の活性化にどんな貢献ができるかを考えるようになった」
■毎日新聞
「直島には食べるところが少なく、店を出したらもうかるかも」

比較:
 読売新聞は、損得勘定抜きに島の活性化に純粋に貢献したいという教師像が伝わる。
一方、毎日新聞は、商売人的な教師像が伝わる。
 この二つの教師像を比較すると、対称的な教師増が伝わる。


「学生像、教師像の比較」


今回の直島プロジェクトでは生徒と教授の試みが一致して生まれた香川大学では初の試みであったと思う。しかし、この試みでは教授
と生徒の考え方に若干の違いが見られる。

まず学生側では最初「食事する場所が無い直島で店を開いたら儲かる」という考えのように儲けるという考えが強かったと思える。
また友人にこのプロジェクトに参加している人がいるので聞いてみると大学3年になり大学生活でなにもしていなかったので何か残し
たいという考えであったという。私は彼の話を聞いて学生は自分たちが大学で学んだことが実際社会にでてどのくらい使えるのかを試
したかったのではないかと考える。3年の後半からこのプロジェクトに参加したということだが、大学ではほとんどの授業が講義形式
でとられている。そういう中で自分たちの学んできたことが本当に自分の身についたのか、それを実践するために参加したと思う。
自分たちの実力を知り自分たちの実力を世の中に示してみたい、そういった学生像がこのプロジェクトからうかがえる。

つぎに教授側では考え方が少し違う。教授は「利益がでるよりも地域の活性化にどのように貢献できるか」をメインにしている。新聞
記事にもあるように学生達も「地域貢献していきたい」と言っているがそれは直島での住民とのふれあいの中から生まれたものであり
最初から「地域貢献」をテーマにしている教授の考え方とは根本的な部分で違うと思う。
さてこれは考えすぎの部分があるかもしれないが教授は今回のプロジェクトでは一度も「直島で店をやろう」と言っていない。「直島
では観光客は多いが食べるところが少ない」と述べただけである。私はこの教授が提案しなかったことに今回のプロジェクトの意味が
あると思う。
最近の学生は自分たちの力で何かやろうという気持ちが昔に比べて薄い。また偏差値重視の大学受験により大学に入ったあと「自分が
学んでいることは意味があるのか」という考えになりがちである。そういうなかで教授が提案するのではなく学生が率先して行動を起
こすことにより授業で学ぶ意味と学生が自分の意思で行動するやる気を教えたかっつたのではないだろうか。

以上


<読売新聞の記事について>

教師像
観光客がたくさん来るのに食べることが少なく、店を開くことで、地域の活性化にどんな貢献ができるかという考えから、直島プロジェク
トを始動。

生徒像
経済の仕組みを通じて、人と人が触れ合う場所を作りたい。店が少ないなら自分達でやろうという考えから直島プロジェクト始動。


<朝日新聞の記事について>

教師像
食事する場所が少ない直島でカフェを開いたらもうかるかもしれない、という利益優先の考えから直島プロジェクトを始動。

生徒像
教授の話を聞いて、自分達でやろうと盛り上がり企画。そのうちに島のために何かできればという思いで行動。

まとめると、読売新聞では教師は地域活性という考えから企画し、生徒も経済の勉強の延長に地域活性ができればという思いで始動。朝日
新聞では教師は利益を優先に考え、生徒は島の活性化に役立ちたいという思いから始動している。


記事を読む限り、読売新聞の学生像・朝日新聞の学生像共に目立った違いは無いように感じた。
あえて比較するならば、読売新聞の方は、学生が直島に店を開くまでの経緯を簡単に前置き程度で紹介しているのに対し、
朝日新聞は学生が週1回以上集まってメニューなどを話し合ってきたこと、空き家を綺麗に掃除したこと、食品衛生の講習も受け、
さらには資金の調達の苦労話の詳細も記事の中で取り扱っている。この2つの記事を見る限りでは、朝日新聞の方が、より学生の店に
かける意気込みが伝わってきた。

また、教師像の方であるが、これも学生像同様明らかな差異は無かった。
ただし、読売新聞には、学生に直島に店を開くように促した契機として、「観光客に対して飲食店が少ないな」という
先生の意見だけ書かれてあったのに対して、朝日新聞では「飲食店を出せば儲かるかもしれない」という具体的な案を出し、
先生の積極性も伺えるようなニュアンスで記事が書かれてあった。