Books 2003/03
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T・ノーレットランダーシュ『 ユーザーイリュージョン 』紀伊國屋書店 (2002) 意識は行動を起こさないが,止めることはできる
T・ノーレットランダーシュ『 ユーザーイリュージョン 』紀伊國屋書店 (2001.1.25) \4,200
すでにいい書評がでている。
張競・評 毎日新聞 金森 修 紀伊國屋ifeel
そのほかにもGoogle をチェックして欲しい。
http://www.google.com/
目次等の書誌事項はwebcat plus
http://webcatplus.nii.ac.jp/tosho.cgi?mode=tosho&NCID=BA58514120
しかし,すぐリンク切れになることもあるので目次を示しておこう。
目次
- 第1部 計算
-
第1章 マックスウェルの魔物
第2章 情報の処分
第3章 無限のアルゴリズム
第4章 複雑性の深さ
- 第2部 コミュニケーション
- 第5章 会話の木
第6章 意識の帯域幅
第7章 心理学界の原子爆弾
第8章 内からの眺め
- 第3部 意識
- 第9章 〇・五秒の遅れ
第10章 マックスウェルの「自分」
第11章 ユーザーイリュージョン
第12章 意識の起源
- 第4部 平静
- 第13章 無の内側
第14章 カオスの縁で
第15章 非線形の線
第16章 崇高なるもの
デンマーク語の出版が1991年,英語版の出版が1998年ペンギンブック($17.00と安いし,小さい)になっている。デンマークではベストセラーになったようだ。翻訳は英語版から。英語版には著者もタッチしたようなのでそれほど問題はないだろう。
なかなか刺激的な本で面白い。もしかしたら世界観が変わるかもしれない。
しかし,熱のエネルギー保存の問題から情報理論,カオス理論,大脳生理学,心理学,宗教学(というよりも神学論争か),哲学,宇宙論,情報社会論とさまざまな領域に付き合わされるのは辛いかもしれない。実際辛かったので宇宙論(第13章)には付き合わなかった。手軽に読むには2部と3部を読めばいいだろう。私には第1部の「第4章 複雑性の深さ」が非常に面白かったので,第4章から読み始めるのもいいかもしれない。
難しい話もあるが,著者は饒舌で何度も繰り返し同じ事を違うアプローチから語るのでそれに付き合えばかなりよくわかる。訳もこなれていて読みやすい。英語版にはない小見出しもつけていてわかりやすくしている。ただ,英語版にある文献目録がついていない。参考文献と注釈においてできているつもりかもしれないが,これは英語版のnotes である。abc順にならんだ文献目録で見えてくるものもあるし,注釈では発行年が省略されている文献もある。12頁ですから入れて欲しい。一般に日本語版は文献目録が省略されることが多いが,一万部も売れない本は読者が限定されているのだからつけるべきでしょ。
ベネットの意味の基準 p108
メッセージの価値は,その情報量(絶対に予測不能な部分)や歴然とした冗長性(同じ言葉の繰り返しや数字の登場頻度の偏り)にあるのではなく,むしろ隠れた冗長性とでもいうべきもの,すなわち予測可能だが,予測には必ず困難が伴う,という部分に備わっていると思われる。
エントロピー=情報量が意味なのではなく,適度にエントロピーがあるところに意味が生じる。それが,情報の意味=論理深度である。いかにそのメッセージを練り上げたか,つまりいかにうまく捨てたかが意味,論理深度となる。この本では一貫して,捨てること,処分することを重要な側面として注目する。処分の英語は気になったが,discardであった。discarded information が処分された情報,処分情報である。索引では処分情報とある。この著者がいろいろ読みまくり,対話しまくり,しゃべりまくる人であることからいって,処分情報を重視することは分かる。その処分がきちんと処理することであって,わからないから捨てるということではないはずだ。わからないので処分するという側面については何もいっていない。無価値的に処分とか短縮でいいのだろうか。著者はもちろん,「複雑度や意味とは,生成物でなく生成過程を測る物差しであり,作業結果ではなく作業時間であり,残っている情報ではなく処分された情報のことだ。……。その深さ,つまりそれを生成するのがどれだけ難しかったか」(p109)。というようにきちんと展開しているが,その後の会話の章になるとそういう側面を無視して語っているようだ。2部から読むとその点誤解するかおしれない。
省略・処分された情報を外情報と呼ぶ。こちらのほうを重視する。
会話というのは省略・処分して話し,聞き手は省略・処分を再構築する。ことばを発し,メッセージを理解する過程それぞれに会話の木が存在する。
情報を意味とか秩序と同じとする考え方は誤解であると言い切っている(p132)。
サイバネティックスの生みの親ノーバート・ウィナーや彼に続くレオン・ブリルアンらは,「情報」を「秩序」や「体系」といった肯定的ニュアンスを持つ言葉と混同した。……。この混乱は,情報理論の本来の言い回しからは生じない。
シャノンは自らの理論を発表した際,「コミュニケーションの持つそうした意味論的な側面は,工学的な問題には関係ない」と述べた。
p132-133
情報伝達に際して必ずエントロピー(ノイズ)が生じるか。これは必ずしも生じない。例えば本を手渡せばいい。(p137)
知覚(感覚といったほうがいいだろうが本では知覚)するのは代表的感覚を合わせて1秒当たりだいたい1,100万ビット(p182)=1,375,000バイト=1342.8キロバイト=1.3メガバイト。意識できるのはいろいろ説があるが,1秒当たり16ビット=2バイト多くても40ビット=5バイトである。帯域幅(bandwidth,研究社リーダーズプラスだと「データ通信機器の伝送容量; 通例 bits [bytes] per seconds で表わす」ということまでわかる)をこのような単位で表している。短期記憶は7±2 と言われているから,だいたい3ビットである。もっともこれはチャンクという単位だから,情報に直すともっと大きく展開することもできる。意識と言われているのはおそらくだいたいワーキングメモリ(作業記憶,working memory でgoogle を検索すると面白い論文紹介がいくつかあった)に対応するものであろう。論文を読むなら,Baddley(2002)自身の最近のワーキングメモリの紹介もある。もっともノーレットランダージュ氏は意識とワーキングメモリを結びつけていない。
つまり意識は処分された情報をながめるだけのようである。意識する<私> the I と無意識の<自分> the Meがいる。<私>がなんでも知っていて何でもやっているという幻想(ユーザーイリュージョン)があるが,実際には無意識に<自分>が意識よりも遙かに多くのことを知っていて,しかも<自分>が行動を開始しているのである。
自発的行動は意識する前に行動を始めているという Libet の研究を第9章で紹介している。Libet(1999)にもこの実験が紹介されている。この本は Journal of Consciousness Studies の特集号である。こんな雑誌もでてるんだね。
その章で,概略「意識は0.5秒遅れでやってくる。」という帯のコピーが説明される。行動はその0.2秒後。というわけで,意識は行動を開始していないが止めることができることになる。この話,ロシアの心理学で行動抑制機能というのを思い出させます。子供の「ボタンを押す」「ボタンを押さない」といって行動をさせるのだが,小さい子だとどちらもボタンを押しちゃって,抑制できない。年長になるとことばによって行動を抑制できるようになる。この行動抑制機能が最近の子供はなかなかできないという研究が数年前にありました。学級崩壊と絡めて,言われたりしていた。
それが著者によると神学論争になる。つまり,「思うことは止めることはできない。しかし行動を止めることはできる。」というのが,ユダヤ教とキリスト教との対立だそうです。で,この実験結果はユダヤ教のように行為を禁止するのが正しくて,キリスト教のように思うだけでもいけないというのはやりすぎということになる。その伝で,映画『ロード・オブ・リング第1部』を見るとちょっと面白いね。「人間」部族の誰かさんは指輪をとろうとして行動を起こすが,最終的には思いとどまる。それでも自分を責めさいなむ。これってキリスト教だったんだ。ほかにも行動の最初はあるが,思いとどまる例があるがこの場合はその後まったく苦しまない。ユダヤ教だったんだ。そのほか,場違いや正しくないとすぐ分かることなのに,自分の思ったことをすぐ言ってしまう人がいるが,意識がたりない。てことかな。
この本を読んでいると,意識はメタ認知を主としてやっているようにも思える。心理学ではメタ認知は意識的な場合もあるが無意識的な場合もある。
PDPやプライミングを無意識側として重視しているのも面白かった。
決定論的カオス理論という表現も面白い。決定論的でないカオス理論もあるんだ。著者自身は統計的に考えている。
単純な法則を適用した結果が単純とは限らない。以前は法則適用の結果を追いかけなかったが,コンピュータのおかげで徹底的に追いかけることができる。その成果の一つがフラクタルということ。手順は単純だけど,結果は見事に複雑。ニュートンの法則も単純だが,適用をしていくと複雑なんだそうだ。このあたりの話も一つの山だね。人工生命の話がある。地図と現地の話があって,一般意味論を思い出させてくれた。地図と現地の話も情報処分のことだ。
われわれは意識や科学なども処分した情報を使っている。だからといってそれがすべてでない。処分されてしまった外情報を忘れてはならない。そして無意識も。で,意識より無意識の優位性にいきついてしまっている。このあたり日本人なら「感性」を大事にしなさいといえばおしまいだろう。意識が限定的であるのはいい。それを意識しろというのもいい。だから,無意識が優位になるとはいえない。無意識の困ったちゃんぶり,意識の困ったちゃんぶり両方を考えなくてはいけない。そして決断するときは,あれかこれかなんだから,意識化することは重要だし,処理容量内に収めることができるだろう。たとえ紙にいろいろ書いて補助してもそれはいいんだから。
「崇高なるもの」において無意識に行動しているときが一番面白いというようなことを言っている。コリン・ウィルソン『至高体験』(河出文庫,1998)においては意識を集中すると達する至高性というものを論じる。同じ,マズローから違った見方がでてきている。両方ともいいのでしょう。反転理論のようにモードの違いと考えた方がいいだろう。もっともマズローのはpeek experienceだった。
著者は無意識をポジティブに考えることになれていないのか,無意識についてはナイーブな議論が多い。「気」「勘」「感性」についてもっと勉強したほうがいい。
サブリミナル広告についても無条件に受け入れているようだ。最初の発表は嘘であったというのを見逃している。その後もいろいろ研究があり,強い仮説でなく弱い仮説を受け入れてもいいのかもしれない。下条氏が無意識を重視していたのもこの本を読んで合点がいった。
いろいろ書いたが面白い本であることは間違いない。たたみかけると金森氏は言っているが,ま繰り返しが多くわかりやすい。
でも,「デルポイ」というのはなじみにくい。delphiの神託。英語だとデルファイ。だから,ボーランド社のデルファイを使っている。「デルポイ」というのは確かに辞書でもでてくる言葉だ。「デルフォイ」のほうを採用して欲しかった。こっちのほうが多いのではないか。それと語感の問題。「出るポイ」というようなすぐ捨てるイメージがある。
長さと距離は何の訳か。length, distance でした。
意識 | 無意識 |
16ビット/秒 | 1100万ビット/秒 |
情報 | 外情報 |
処分後残った情報 | 処分してしまって見えない情報 |
私 | 自分 |
文明 | 自然 |
地図 | 土地 |
距離 | 長さ |
社会主義 | 資本主義 |
計画経済 | 市場経済 |
法則 | 法則適用の結果 |
言語 | |
意思 | |
会話 | 理解 |
情報社会 | |
線形 | 非線形 |
| 多様性 |
| 複雑性 |
シミュレーション | |
科学 | |
| 創発 |
| 身体 |
Baddeley, Alan D.(2002). Is Working Memory Still Working? European Psychologist, 7, pp. 85-7. American Psychologist で見たような気がするが,APA の検索ではこれがでてくる。
Libet, B. et al.(eds.) (1999) The volitional brain: Towards a neuroscience of free will. Imprint Academic.
下條信輔(1996).サブリミナル・マインド : 潜在的人間観のゆくえ 中公新書
下條信輔(1999).「意識」とは何だろうか : 脳の来歴、知覚の錯誤 講談社現代新書
コリン・ウィルソン(1998). 至高体験 河出文庫
2003/3/3記
P.S.
さて,処分された情報を回復できたであろうか。
情報社会がストレスに満ちているように思われるのは,情報が多すぎるからではなく,少なすぎるからである。だから,情報社会では,仕事をするのに途方もない量の<外情報>を展開する必要がある。p487
面白い指摘である。
心理学が意識を排除した行動主義から意識や表象をメインにした認知主義へとながれ,認知科学が発展した。認知科学のなかで最初は人工知能万能主義のように考え,エキスパートシステムを作ろうとして失敗している。そして,PDP,ニューラル・ネットへと研究の重心が移った。統計学の多変量解析でも従来の因子分析などの次元主義からニューラル・ネットへの流れがある。
しかし,心理学は別に意識中心主義でもなかった。認知主義の一部が過剰に意識を強調したために何でも意識的にやっていると思う人がいる。しかし,帰属理論は結果としての意識を考えるが,そう考えてしまうシステムに言及している。認知的不協和の理論も意識的にそうしているとはいっていない。そうなってしまうメカニズムだ。認知科学も初期の研究に置いて,文章を理解するのに無意識に補充している部分に注目した。それがスキーマ(図式)であり,スクリプト(台本)であった。心理学はもともと合理的に説明できない部分にアタックをかけているので,意識的に行動していない部分を注目していた。また,そのように無意識的に行動できるようになるのはなにかを学習という分野で研究していた。
消費者行動へと展開すると,モティベーションリサーチは無意識に注目していた。しかし,あまりこの面を強調すると,パッカードが問題とした,操作の問題となる。かなり危ない領域である。サブリミナル広告や閾下知覚の問題も同様の問題がある。
豊田秀樹(1996). 非線形多変量解析 : ニューラルネットによるアプローチ 朝倉書店
V.パッカード(林周二訳) (1958). かくれた説得者 ダイヤモンド社
ヴァンス・パッカード著 (中村保男訳)(1978). 人間操作の時代 プレジデント社
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