Books 1999/09


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初田亨『百貨店の誕生−都市文化の近代』ちくま学芸文庫 (1999) 明治から昭和初期の日本のデパート
アリアドネ編『思考のためのインターネット−厳選サイト800』ちくま新書 (1999) インターネット徘徊指南


初田亨『百貨店の誕生−都市文化の近代』ちくま学芸文庫 (1999/9/9) \1,100
1993年三省堂刊
目次
第1章 勧工場の設立
第2章 繁華街に出た勧工場
第3章 呉服店から百貨店
第4章 新しい観客の開拓
第5章 遊覧場になった百貨店
第6章 家庭生活の演出
第7章 新中間層と都市文化
第8章 勧工場と百貨店の時代
解説『百貨店の誕生』とデパート研究の現在(吉見俊哉)
勧工場(かんこうば・かんこば)は「明治期に数多く設立された独特の形式をもつ店舗の一つ」であり,「商品を陳列して販売する方式や,土足のまま店舗内入る方式や,土足のまま店舗内に入る方式を採用するなど,いち速(ママ)く近代的な店舗形式をとった存在として注目されると同時に,多くの人びとから親しまれ,都市住民の生活に潤いを与えてきた」。

明治14年から勧工場はつくられ明治35年12月には27あったが,徐々に減っていき,大正3年には5工場になっている。この勧工場と入れ替わりに伸びてきたのが百貨店である。

「百貨店」という語が最初から使われていたのではなく,明治43年4月の三越呉服店の広告に「デパートメント,ストア」という語が使われていることを実際の広告から示している(p77)。

建築史が専門の著者は建築関係の資料やPR誌その他を使い,百貨店施設の増加を振り返り,百貨店の機能について考察している。多くの機能をまとめると「遊覧」性にある。これは勧工場にあった。つまり,勧工場の遊覧性を百貨店が引き継いでいるのである。遊覧性は百貨店だけでなく,「日比谷公園→松本楼」などすでにあった遊覧と関連して展開していることを指摘してる。

昭和4年にできたターミナル・デパートである阪急百貨店の出現は,大衆を顧客に考えるようになった。それまでが,知識階層でもあった上流・中流階級の人々を開拓していたが,大衆または新中間層を顧客に考えるようになった。ここで,一般の小売商店と軋轢が生じるようになった。

今でもターミナル・デパートはターミナルでないデパートとは位置づけが違っていることに注意する必要がある。こっち参照

札幌では三越の進出によって文化が十年も進んだと考える人がいたのである。同じように他の地方都市でも,三越の進出によって文化が進んだと考える人びとがいたらしい。金沢と高松では三越の支店次長や支店長の発言で,そのすべてをうのみにすることはできないが,三越の進出によって「文化の向上,商品の供給等には最大の貢献をなしつゝある事は識者の等しく認むる処」や「市内商店街が見違える程改善され,そのサービスも一段とよくなり,物価に標準値段が出来て高松市が明るくなったことは高松人異口同音の評である」と述べている。
前者は金沢でしょうね。「値段が同じ」ということを重視する発言10年前でも高松というかちょっとはずれた志度町の調査でもありました。「文化」に貢献したとは高松人が思うかな? あのちっちゃい百貨店で。いまでも60才以上なら「みつごし」とよくいいます。包装紙にはローマ字で読み方が書いてあるんだけどな〜。

吉見氏の解説も百貨店を考える上で参考になることを書いてます。
それから,和田博文『テクストのモダン都市』風媒社 も参考にしてください。

「遊覧性」とくには「家族で出かける場所」を百貨店は大事にしていたというのがこの本での指摘。文庫版あとがきでは今はそういう場ではなくなってしまっていることを描いている。買い物はショッピングつまり見て回ることにも楽しみがあったわけだけど,いろいろな意味の遊覧性をつくってきた。それがアメリカでは今やショッピングモールに奪われている。百貨店よりも大きい装置が必要となったのであろう。

しかし,百貨店は店長がいるのだから,統一したコンセプトを打ち出しやすいはずなのに場所貸しになって統一したコンセプトを打ち出せなくなっている。新しい提案ができるという側面を活かせなくなっている。昔から,なんらかの生活提案があって,そのコーディネイトまで見せるというものでなかったのか。百貨店は随分前から保守的な人(冒険を恐れる人)を捕まえるようになっている。それでは,見て回っても楽しさがないよね。
1999年9月17日記
アリアドネ編『思考のためのインターネット−厳選サイト800』ちくま新書 (1999/8/20) \660
目次は省略 次のサイトに目次がある。
アリアドネ

21の領域にわけたリンク集となっている。タイトルは少し変わっているところがあるが,ほぼ同じである。例えば,本の「2 国内政治・国際政治・世界情勢」はWWWでは「2 政治・世界情勢」となっている。

WWWでは「人文系総合ポータル」(portal)となっています。人文系に強いのが特徴ですが,社会科学もかなり取り入れてます。それも含めて総合といっているのかな。

もう一つの特徴は,日本と英米だけでなく,ヨーロッパ各国やアジアやその他の地域にまで目配りしているところです。サーチエンジンを例にすると,日本,米国,北米・中米・南米,ヨーロッパ,イギリス,フランス,ドイツ・オーストリア,ベルギー・オランダ,ロシア・スカンディナヴィア諸国,イタリア・スペイン・ギリシア・バルカン諸国,アフリカ・中東,アジア,オーストリア・ニュージーランド・東アジアが見出しになっています。

数え方によって増えるようですが,800のサイトのうち100程度が日本で,日本を中心に見たい人にはちょっともの足りないかもしれません。あ,その100の中で私のホームページもいれてくれています。本では62頁です。4 経済とビジネスの◎経済理論のところで場違いの感は否めませんが,リンクしてもらっているだけでも感謝しなければ。 www では 経済学の総合資料 にあります。

私としては,前著 アリアドネ『調査のためのインターネット』ちくま新書 がホームページをつくり出して比較的すぐに出版され,いろいろ参考になりました。初心者の方はこの本のほうが役にたつでしょう。もっとも今は url がだいぶ変更になっているでしょうが。 検索の時は,検索エンジンも重要ですが,リンク集も重要です。検索エンジンではひっかかりすぎるので,リンク集のほうが効率がいいのです。また,最近は pdf ファイルも増えてきて,これの中は 検索エンジンにひっかかりません。また,そのホームページで検索して出力するシステムをとっているところも引っかかりません。つまり,2つの意味でリンク集は重要です。おっと,自己宣伝だな。という意味でも関連するリンク集でネットサーフィン(もう言わなくなってるか)してみるのも楽しいです。

ところで,本とWWWの関係はとちょっとだけチェックを入れてみました。本で説明を入れていないサイトには WWWで説明を入れています。本で説明を入れているサイトは WWWでは省略している傾向があります。ちょこっといる場合もあります。ということで,本とWWWは相補的になるようにしています。

この本の目的
膨大すぎてどこから調べたらよいか途方にくれてしまうインターネット情報。本書はそんな中から目的別に,すぐに役立つ重要サイトを網羅的に収録しました。いわばインターネットという迷路をわたりきるための決定的ガイドブックです。この本一冊で,政治・経済からフランス文学・映画まであらゆる調べものに対応できます。
日本のサイトでもホームページが爆発しつつあります。統計学などでも前は見つけるのに困難なところがありましたが,今は,見つかりすぎて困ります(もっともインターネットですべて済むというようなことはない)。という意味で,リンク集も以前のような網羅性ではなくこの本でいっているような厳選のほうが重要になってきます。リンク集をつくった場合,維持管理するのが結構大変です。Yahoo もその出発が自分たちのためのリンク集ですが,時間がとられすぎて博士論文のための時間が削られていった。それが商売化するきっかけだったとか(もちろんアクセス数が多いことは前提であった)。網羅性を重視するとそっちへ行ってしまいます。

そのあたりを考えてか,アリアドネは大きなリンク集に目配りしてリンクしています。これはうまい手ですね。ここの説明では基幹ということばを使っているけどそれは厳選ということですね。

アリアドネ【Ariadne】
ギリシャ神話で,クレタ王ミノスの娘。ミノタウロス退治に来たテセウスに恋し,糸玉を与えて迷宮を通り抜けさせた。ここから難問解決の手引き・方法を「アリアドネの糸」という。 三省堂 『ハイブリッド新辞林』
1999.9.18記



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