Books 1998/8


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結城浩『Perlで作るCGI入門応用編−生きたホームページを作るために』ソフトバンク(1998) ホームページ作成実用tips
古田博司『東アジアの思想風景』岩波書店(1998) 近代化と脱落

G・ホフステード(岩井紀子・岩井八郎訳)『多文化世界−違いを学び共存への道をさぐる』有斐閣(1995) 世界の4大価値軸



結城浩『Perlで作るCGI入門応用編−生きたホームページを作るために』ソフトバンク(1998.7.30) \3,000
目次
 1章 CGIのチェックポイント
 2章 CGI型アクセスカウンタ
 3章 SSI型アクセスカウンタ
 4章 クッキーカウンタ
 5章 ランダムテキストとランダムイメージ
 6章 チャットと応用例
 7章 掲示板
 8章 自動登録リンク集
 9章 私書箱
10章 クイズ
11章 アンケート
12章 検索
13章 パスワードによるアクセス制限
14章 BASIC認証によるアクセス制限
15章 喜びの架け橋となるために

ホームページを作ったとき、単なるHTMLだけではやれないけど、やってみたいと思うことが網羅されていてうれしい。プログラムはhttp://www.st.rim.or.jp/~hyuki/cgibook2/にあります。基礎編のhttp://www.st.rim.or.jp/~hyuki/cgibook/をあわせて使うといいでしょう。

最初の設定ではまる罠については、 Hiro's CGI/Perl (1.アクセスカウンター)に書いてあります。パーミッションの設定などです。基礎編は全く見ていないですが、とりあえず、少し知識を付ければ動きます。そういえばダウンロードのファイルの lzh のほうは大文字のファイル名に展開されたのでファイル名の変更が必要でした。zip ファイルのほうをダウンロードしたほうがいいです。サブディレクトリも設定していないようなので、イメージファイルはしかるべきディレクトリ名をつけて格納しなければならない。それから、http://www.st.rim.or.jp/~hyuki/cgibook2/ ページも.html ファイルでダウンロードして、自分のホームページに入れて実験しましょう

とりあえず、「カウンター」と「検索」は実装した。あとは「掲示板」を少し手直しして実装したい。

カウンタはたいていの人がまずやりたいことですね。2年前に初めてホームページができたころにはカウンタプログラムはどこかほかのところにあるのを使用するというパタンだったように思う。この本で紹介されているように今やPerlで簡単に作れるようになってるとは知らなかった。unixをベースにしている場合は、シェル(sh) で作っているようだ。別の問題で htaccess をキーワードにして検索したところカウンタプログラムが引っかかってきた。この本では自分がアクセスした回数も数えてしまうが、 青木 繁伸氏のホームページのアクセス数のカウント
if test "$REMOTE_HOST" != "ここにあなたがアクセスするときのリモートホスト名"; then
というのを使えば、その難も逃れられる。

今のところシェル はhttp://www.st.rim.or.jp/~eyez/httpd/counter.htmlのを使ってます。

ついでにJavaScript は古旗一浩のところがいい。

1998/8/6記

追記 1998/8/7
インターネット上にPerl での書き方や、cgi, ssi があるのでそちらを参考にしても本書にあるようなことはできそうである。こちらにリンク集をつくっておいた。


古田博司『東アジアの思想風景』岩波書店(1998.7.24) \2,200
目次
1章 海の向こうの儒教文化
  君子と禽獣/食と魂魄/倭人館の憂鬱/墓と儒仏/身体技法と礼儀/儒と女/儒礼なき江戸社会/軍人と風流人士
2章 南北朝鮮の光と陰
3章 「中華」の人々と近代化
  中華と夷狄/長城と中華/文化と革命/虚境無惨/韓女幻影/民族と国家/私欲と黙契/近代化と脱落
4章 思想の廃墟に立って
  崩壊と再出発/東アジアの喪失と我々の喪失/日本的教養と西洋/変わらぬ人々/世紀末の東アジア

 第1章〜第3章は『世界』1996年4月号から98年4月号連載。第4章は書き下ろしとある。この本の紹介に「考現学」とあった。韓国、北朝鮮、中国、日本をめぐる儒教、近代化、ポストモダン状況をエッセーとして書いている。そこで言っている言葉の内実がなんなのかよくわからないことがいくつもあった。ただ、韓国、中国、日本が儒教国としてまとめられないということ、「儒教」よりも「中華」思想のほうがベースにあるということについては例もあって、比較的頭に入りやすい。


p189
資本主義の法はどんどんと発展し、商品化を旗印に自然と伝統を破壊しまくるわけだが、近代化の過程に「脱落」があるので、どこに歯止めをかけるべきかが分からない。自然のなかに唯一神の摂理が横溢しているという考えから、その摂理を知るべく自然科学が生まれ、その「自然」は精神や道徳世界も含んでいるからこそ歯止めがかかる。

最後の文章はよくわからないが、「脱落」の問題は重要な面を含んでいるであろう。ただ、西欧はまず悪いことをやりきったから悪さがよくわかったという面も無視できない。

p199
何かを信じて生きているといった途端に、思想でなく、即、宗教に転化してしまう地平。今我々はそこまで精神を商品化され、なすすべもなく思想の廃墟に立ちすくんでいる。

分かるようで分からない。

p209
アングロ・サクソンゲルマンやユダヤ
事物たちそのものに通底する普遍的なものを汲み出そうとする思惟事象の背後に、ある普遍的な存在を措定する
経験事象の蓄積と、その大衆的な評価が不可欠=必ず議論をしなければならない西洋人の普遍モデルを学生に語る
あらゆるものに対して何らかの知識をもち、しかも自分の専門についてすべてを知っているという「教養」


このように「教養」としてとりだすとこの対照はおもしろい。でもイギリスははたして、「大衆的な評価」が不可欠なのか?
ポストモダン的なものとして、「思惟をコンピュータ化し、大学の講義やゼミや演習をことごとく議論形式に変更し、経験事象のなかにおのれの存在をおく。」ことをとしてとらえていたが、アングロ・サクソン的なものととらえるわけだね。

原因結果
教養科目をつぶす「総合科目の日常化」
国際関係を強調「大学の世界史」
学際を謳いあげるシンポジウムで勉強の手間を省く



p196
・・・資本主義が消費中心型に移行し、商品化が轟然と伝統と自然を喰っては排泄し、共同体の崩壊まで商品化された共同態で繕うようになっている現今、押し寄せる洪水から身を守るように美意識で防波堤を作り、隠棲している人々は実は少なくないのではないだろうか。あるいは今の若者ほど、その防波堤に対する欲求は強いといえるかもしれない。

p222
あからさまにして直感的、くだらなくして一撃、非説明的にして写実的、理屈などはなから信じない。
この「直観」を我々(日本人)みなが共有しているとしている。このあたりが日本の美なのだろうか。
学問するということは、彼らのディスコースの「理(すじ)」をもって、インスピレーションの「利(するどさ)」を潰すことにほかならない。ゆえに、「理」は貴く、「利」は卑しい。
「利」があるのなら、もっと面白い日本があってもよさそうだが。それとも「利」を卑しいという扱いが面白さを潰しているのか。「理に働けば角がたつ」ことが、「利」が働いているとは限らない。

1998.8.6記


G・ホフステード(岩井紀子・岩井八郎訳)『多文化世界−違いを学び共存への道をさぐる』有斐閣(1995.2) \2,800
Hofstede,G.(1991)Cultures and organizations: Software of mind. McGraw-Hill.
目次
第1部 はじめに
 第1章 たまねぎ型モデルで文化を見よう
第2部 国民文化
 第2章 平等? 不平等?
 第3章 私・われわれ・やつら
 第4章 男性・女性・人間
 第5章 違うということは、危険なことである
 第6章 文化と組織モデル−ピラミッド・機械・市場・家族
 第7章 美徳と真理
第3部 組織文化
 第8章 超優良企業への道は一つではない−流行から経営の道具へ
第4部 共生への道
 第9章 異文化との出会い
 第10章 多文化世界で共にいきるために

 集団主義、個人主義の文脈で引用されることがよくある文献の日本語訳であるが、訳本に言及されるのを見たことがない。50カ国+3地域のIBM社員の意識調査結果によるものである。日本語訳では調査の基礎的部分が除かれているのか、いつのデータかなど素人向けでも必要な項目がかけている。1983年に発表されたデータに基づいているようである(p20 (10))。

4つの基本的な問題領域
(1)能力の格差(power distance)(小←→大)
(2)集団主義(collectivism) 対 個人主義(individualism)
(3)女性らしさ(femininity) 対 男性らしさ(masculinity)
(4)不確実性の回避(uncertainty avoidance)(弱←→強)
最近になった発見された5番目の次元
(5)長期志向(long-term orientation) 対 短期志向(short-term orientation)

もとの40カ国の質問(1980)での32の項目×40カ国の因子分析の結果から尺度化したようである。

(5)を除くそれぞれの簡単な定義とその尺度化につかった項目を挙げておく。さらにその尺度の1位と最下位(53位)、日本、米国の順位とその得点をリストする。

(1)能力の格差
人々の間に不平等が存在するという事実にどのように対応するか。上司と部下を隔てている情緒的距離。
3項目から計算
1 「あなたの経験から考えて、次の問題はどのくらい起こっていると思いますか−社員が管理職に反対を表明することをしりごみする。」(「1 非常にしばしば起こる」から「5 まったく起こらない」までの5段階の平均)
2 上司が実際に行っている意思決定のスタイルについての部下のとらえ方(4つのスタイルと「どれにも該当しない」の5つの選択肢のなかから、独裁的スタイルまたは温情的なスタイルを選択した社員のパーセンテージ)
3 上司の意思決定スタイルとして部下が好ましいと思っているスタイル(相談的スタイル以外のもの。独裁的スタイル、温情的スタイル、多数決に任せるスタイルを選好した社員のパーセンテージ)

1位 マレーシア(104) 33位 日本(54) 38位 米国(40) 53位 オーストラリア(11)

(2)個人主義 vs 集団主義
個人主義を特徴とする社会−個人と個人の結びつきはゆるやかである。人はそれぞれ、自分自身と肉親の面倒をみればよい。
集団主義を特徴とする社会−人は生まれた時から、メンバー同士の結びつきの強い内集団に統合される。内集団に忠誠を誓うかぎり、人はその集団から生涯にわたって保護される。

項目
「仕事の目標」の14項目の一部
「あなたの理想とする仕事にとって重要な条件は何でしょうか?あなたが現在行っている仕事にとって重要な条件は何でしょうか?あなたが現在行っている仕事において、それらの条件がどの程度満足されているかということではありません。あなたは、次にあげる条件をどのくらい重視しますか?」
「1きわめて重視する」から「5ほとんどまったく重視しない」
個人主義の極
1 個人の時間−自分や家族の生活にふり向ける時間的余裕が十分にある
2 自由−かなり自由に自分の考えで仕事ができる
3 やりがい−やりがいがあり達成感の得られる仕事である
集団主義の極
4 訓練−訓練(技能向上や新技術の修得のため)の機会が多い
5 作業環境−作業環境が良い(風通しが良く、照明が十分で作業空間が適当であるなど)
6 技能の発揮−自分の技能や能力を十分に発揮できる
個人主義は因子得点によって求めた。

1位 米国(91) 22位 日本(46) 53位 グアテマラ(6)

(3)男性らしさ−女性らしさ
 個人主義 vs 集団主義と同じ質問項目で特に次の項目が関係する。
「男性らしさ」の極
1 給与−高い給与を得る機会がある
2 承認−良い仕事をした時、十分に認められる
3 昇進−昇進の機会がある
4 やりがい−やりがいがあり、達成感の得られる仕事である
「女性らしさ」の極
5 上司−仕事のうえで、直属の上司と良い関係が持てる
6 協力−お互いにうまく協力しあえる人と一緒に働く
7 居住地−自分と家族にとって望ましい地域に住む
8 雇用の保障−希望する限りその会社に勤務することができる
因子得点を使用

1位 日本(95) 15位 米国(62) 53位 スウェーデン(5)

(4)不確実性回避
ある文化の成員が不確実な状況や未知の状況に対して脅威を感じる程度。

1「あなたは仕事の上で、神経質になったり、緊張したりすることがありますか?」
 「1いつもそのように感じる」から「5まったくそのように感じない」
2「たとえ会社に非常に大きな利益をもたらすと思っても、会社の規則は破るべきでない」という意見に対する賛成の程度(5段階)「規則志向」
3 長期勤続を望んでいる社員の割合(%)。(選択肢型 5年以上)

1位 ギリシャ(112) 7位 日本(92) 43位 米国(46) 53位 シンガポール(8)

(2)の個人主義 vs 集団主義の個人主義の極はいいとしても集団主義がこれでいいのかな?表面的妥当性は低い。

(3)の男性らしさ−女性らしさという命名は何を男らしい、女らしいというのは文化によって違うであろうから問題がある。競争型−共生型というところか? 三隅二不二氏のPM理論のPM(performance-maintenance)のようですね。

(4)の不確実性回避は「表面的妥当性」に問題がありそうだ。この質問と「不確実性回避」との関係が明瞭でない。しかも、ここでの説明で頻繁に使っている旧西ドイツは中程度(29位、65点)であり、ときどき説明に使っているフランスはそれよりずっと上位(10位 86点)である。不確実性回避の強い文化では「違うことは危険なことである」となり、不確実性回避の弱い文化では「違うということは興味をそそる」、中程度のオランダ(35位 53点)では(このニュアンスは理解できないが)「違うということはこっけいである」といっている(p125)。この尺度は指摘されているが、マズローの安全への欲求に関係している。

(1)能力の格差 1位 マレーシア(104)
33位 日本(54)
38位 米国(40)
53位 オーストラリア(11)
(2)個人主義 vs 集団主義 1位 米国(91)
22位 日本(46)
53位 グアテマラ(6)
(3)男性らしさ−女性らしさ 1位 日本(95)
15位 米国(62)
53位 スウェーデン(5)
(4)不確実性回避 1位 ギリシャ(112)
 7位 日本(92)
43位 米国(46)
53位 シンガポール(8)

さて、日本は(1)(2)では中程度でありそれほど特徴的ではないということになる。(3)男性らしい(4)不確実性回避がはなはだしい。米国対日本をみると、(4)不確実性回避と(2)個人主義・集団主義が特徴的となる。

それぞれの特徴のもつ強みを次のようにいっている。日本の場合、(3)(4)が特徴的なので極度に大量生産に有利になっていることになる。

文化的特徴のもつ強み(p259)
権力格差小さい大きい
責任感が強い規律が重視される
集団主義 vs 個人主義集団主義的個人主義的
帰属意識が強い人事に流動性がある
女性らしさ vs 男性らしさ女性らしさが強い男性らしさが強い
個人的サービス
注文販売
農業
生物化学
大量生産
効率
重工業
原料化学
不確実性回避傾向弱い強い
根本的な新機軸正確

この本では、各尺度と一般的な規範、家庭、学校、職場の類型との関係を論じている。一応統計処理に基づいたものだそうだ。尺度に難があるので、参考とか仮説生成的な意味が強いが、こんなことが関係するのかというようなところもある。見ていると面白い。

女性らしさの強い社会男性らしさの強い社会
社会において支配的な価値観は、他者に配慮して、控えめにふるまうことである社会において支配的な価値観は、物質的な成功を遂げ、進歩することである
人間そのものと温かな人間関係が大切にされている金銭と物質が大切にされている
弱者へのいたわりがある強者への共感がある
平均的学生であればいいもっとも優れた学生でなくてはならない
学校で失敗することは、たいしたことではない学校で失敗することは、致命的である
教師は親しみやすさが求められる教師は優れた才能を求められている
生きるために働く働くために生きる
管理者は直感を大切にし、意見の一致点を求めようとする管理職は決断力と自己主張を求められている
平等と連帯感と職業生活の質が重視される公正さと同僚の間での競争と業績が重視される
対立は妥協と交渉によって解決される対立は徹底的な交戦によって解決する

(一部略)

男性らしさの強い社会は日本と一致する点は多い。これを見ても日本は物質主義であることを再確認する。ところで、このような価値観が短絡的に「いじめ」と結びつくかというと、一番女性らしい社会のスウェーデンでもいじめが問題となっていることからもそれだけではないということがわかる。もっともどの程度のいじめで問題になっているかはよくわからない。


不確実性の回避が弱い不確実性の回避が強い
確実でないということは、人生の自然な営みであり、毎日それを受け入れている人生に絶えずつきまとう不確実性は、脅威であり、取り除かれねばならない
ストレスは低く、幸福感が漂っているストレスが高く、不安感が漂っている
怒りや感情を見せてはならない怒りや感情を発散させても良い時間や場所が決まっている
あいまいな状況であっても、危険についてよくわからなくても、平気である危険についてよく分かっている場合は受け入れるが、あいまいな状況であったり、危険についてよくわからない場合は恐れる
違うということは興味をそそる違うということは危険である
学生は自由な学習の場を好み、討論に関心がある学生は構造化された学習の場を好み、正解にこだわる
教師が「私にはわからない」と言うこともある教師たるものは、何についても答えられると考えられている
絶対に必要な規則以外は必要ないたとえ絶対に守られることがないとわかっていても、規則を求める気持ちがある
(一部)

こういう観点で見ると日本の在り方は確かに「不確実性回避」の強い社会だ。日本人がそうだというよりも、武士階級の価値観が明治時代に蔓延してしまったというように思える。そういえば「男性らしさ」の強さも武士階級の価値観であろう。階級があるなかでの単一価値観が、社会全体の主たる価値観になってしまったのではストレスがたまる人たちが多くであるはずだ。逃げどころがなくなってしまう。

不確実性回避の強さが市民の力と関係するという。不確実性回避のスコアが低い国ほど市民の力が大きい。また、不確実性回避の強い国では国家当局による決定にどの程度影響を与えることができるかについて、市民は悲観的である。また、不確実性回避の強い国は上級公務員にしめる法学部の出身者の割合が高い。このあたりも示唆に富んでいる。

尺度そのものが問題がありそうなので、全体を確実なものと考えるのは危険であるが、きわめて示唆に富む内容がある。まったくの思いつき発言のレベルではないので、一読の価値はある。

1998.8.30記




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